雪花の如く 第26編 箱庭の美
文聞亭笑一氏作”雪花の如く”を連載します。NHK大河ドラマ「天地人」をより面白くみるために是非ご愛読下さい。
けいはんな都市クラブトップページ
投書欄
「雪花の如く」紹介ページ
各編と配布月日
第32編:08月27日号
第31編:08月20日号
番外編:08月13日号
第30編:08月06日号
第29編:07月30日号
第28編:07月23日号
第27編:07月16日号
第26編:07月09日号
第25編:07月02日号
第24編:06月25日号
第23編:06月18日号
第22編:06月11日号
第21編:06月04日号
第20編:05月28日号
第19編:05月21日号
第18編:05月14日号
第17編:05月07日号
第16編:04月30日号
第15編:04月23日号
第14編:04月16日号
番外編 :04月09日号
第13編:04月01日号
第12編:03月21日号
第11編:03月21日号
第10編:03月12日号
第09編:03月04日号
第08編:02月25日号
第07編:02月18日号
第06編:02月11日号
第05編:02月04日号
第04編:01月27日号
第03編:01月21日号
第02編:01月14日号
第01編:01月07日号

雪花の如く

第26編 箱庭の美

文聞亭笑一作

前号に引き続き、NHK大河ドラマの流れに あわせるべく、余談を入れます。 引用している文章は童門冬二の「直江兼続」からです。

それにしても、兼続の弟が、景勝や兼続より先に官位を受けて、兼続から叱られるとは、面白い挿話を入れましたね。まるで源平物語を読むような面白さです。平家物語では義経が頼朝に無断で官位をもらい、そのことが兄弟の不和につながっています。後白河法皇の策略でしたが、義経はこれにまんまと引っかかって、身の破滅を招きました。

与七が、本当にそうしたのかどうかは分かりませんが、忠義とは相手のある話で、「誰に」忠誠を誓うかということは、人間関係の微妙なところです。

国会議員の先生も、選挙民に忠誠を誓うのか、日本国に忠誠を誓うのか、はたまた党幹部や、派閥の領袖に忠誠を誓うのか…、難しいところでしょうね。与野党の別なく、派閥の領袖に対する忠義が目立つのが、永田町の論理でしょうか。

ここのところの政治ドラマでは、その辺りの綾が良く見えて、小説よりも面白い(笑)

兼続が首尾一貫していたのは、忠誠を誓う相手は「上杉家」だったと言うことです。

そのことは、状況のいかんにかかわらず、徹底していました。良し悪しとは別問題ですが、会社第一と言う現代のサラリーマンと同じです。会社第一で良いのですが、会社の向かう方向が、天下国家や、世界の平和や発展と一致していてこそ、働き甲斐があります。

これは経営者の責任ですね。

上杉軍は私利私欲で佐渡を攻めるのではなく、天下人の指示に逆らうものの征伐に向かうと言う理屈を立てた。上杉軍は官軍なのである。

帰国してからの景勝と兼続は越後国内の体制整備に掛かります。

まずは下越地方ですが、ここには御館の乱以来の宿敵である新発田一族が播居しています。

現在の新潟市や村上市など、新潟県北部は謙信の時代から、上杉家には臣従していませんでした。謙信の遠征軍には参加していましたが、あくまでも上杉家とは対等の立場をとっています。言わば連立与党の立場でしょうか。条件が合えば協力すると言う立場です。

この関係のままですと、信長と組んで上杉に対抗したように、いつ、最上や伊達と組んで敵対してくるか分かりません。連立ではなく、支配の関係にしなくては、越後の統一にはならないのです。

「越後一国の差配は一任する」という秀吉の認可を盾に、まずは下越の新発田退治に向かいます。苦労しましたが、何とか平定して下越地方を支配下におさめます。

ついで、佐渡の平定に掛かります。佐渡は、平安以来の独立国で、上杉が支配する正当な理由はありません。常識的にいえば、景勝の軍事行動は侵略戦争で「私戦禁止」と言う太閤の命令に反します。

兼続が仕組んだ理屈は「佐渡は関白の命令を聞かない」というものでした。実を言えば、豊臣政権としては、日本海の島ひとつなど、眼中になかったのです。

秀吉にしても三成にしても、「佐渡は越後の一部」程度の認識で、島流しにあった落人の部落程度にしか考えていませんでした。金の産出量が日本一などという情報は全くありませんから、「よきに計らえ」程度の認識です。それを良いことに、よきに計らってしまったのが兼続でした。佐渡を支配していた本間家は、新発田との付き合いが強かったですから、情報に疎かったのが失敗でしたね。豊臣政権の勢いを過小評価していました。

景勝、兼続は越後水軍のほかに、日本海海運の商船を総動員して、一気に大量の軍隊を送り込みます。城ごとに200,300程度の軍隊しか持たず、しかも連合軍ではない佐渡の勢力は各個撃破を受けて全滅してしまいます。

佐渡の領有、これは上杉にとって莫大な利益になりました。産出する金もさることながら、日本海海運の喉首を握ってしまったのです。新潟と佐渡には商業に明るい上田衆を配置して、財政基盤をより強固にしました。後に、会津へ転封になっても、佐渡の領有権だけは手放してはいません。景勝、兼続の資金源です。

財政、数字に明るいか否かは、政治家の重要な資質です。どうも…最近の総理や、その候補は、与野党を問わずお金に弱い者が多いですねぇ。自分の財布を秘書任せにして、失敗を秘書のせいにしすぎます(笑)

彼は京に来て、確かに越後は遅れていると思った。急いで京の文化を自分のものとし、上杉家の遅れを取り戻そうとした。が、そうすればするほど、胸の中に湧いた違和感はいよいよ大きくなる。兼続が今、目の前にしている借景にしても「箱庭の美だ」と思う。

呼び出しを受けて、2度目の上洛になります。一回目は、ただただ都の文化に驚き、文化の吸収に奔走した兼続でしたが、2度目ともなれば「比較文化論」的な目で、京都の文化を見直すゆとりができてきました。

秀吉の、安土桃山文化の粋である聚楽第を見ても、豪華絢爛なる大阪城を見ても、そして京都の寺を飾る庭園の造形を見ても、どうもしっくり来ない…と言う違和感を覚えます。越後とはスケールが違うのですね。自然美と、人工の美の差なのです。言い方を変えれば、バーチャルの世界と、現実の世界の差です。テレビで見る景色と実際の景色の違いです。

「箱庭の美」面白い表現だと思います。盆栽の世界ともいえるかもしれません。

現代では、こういう世界を、現実の世界と勘違いしている都会人や、子供たちが、地球や環境問題をリードしています。それが果たしてよいことかどうか…。大いなる疑問です。

上杉は、上杉の越後を作り育てる。これが兼続の政策の基本として固まってきます。

京都、大阪の文化を否定はしませんが、地方は地方の特質を生かして、独自の文化を育てると言う地方自治の方向です。

東路や 春の小田原うちかえし 種まきそめる雲の上人

秀吉の小田原征伐は、征伐する理由作りに苦労しました。「関白に挨拶に来ない」だけでは正当な理由にならないのです。なぜなら、戦国の百年以上、関白に挨拶に行く義務を負っていた大名などはいません。

関白…つまり、朝廷の第一人者などは鎌倉時代から名誉職で、政治的権限などはなかったのです。現代の会社組織に当てはめれば、アメリカの企業では「会長、Chairman」といえば最高権力者ですが、一時期までの日本企業では「隠居」でしかなかったのと同じことです。社長と言うのは将軍で、天皇と言うのは「物言わぬ株主」でした。

北条氏康が「豊臣?Who?」と言って動かなかったのは当然です。

北条のほかにもう一人、「豊臣?Who?」と言って秀吉を無視していたのが伊達政宗です。

朝廷の権威も、将軍の権威も、全く認めていません。実力主義社会の戦国を謳歌していました。秀吉が発令した「私戦禁止令」「検地」「刀狩」などは公家の世迷いごととしか聞いていません。

秀吉にとっては、北条よりも癪に障る存在です。北条を叩き潰して、伊達も叩き潰さないと、豊臣政権の権威は確立しないのです。

こういうところが、徳川に対する対応とは大違いですね。なぜでしょうか?

やはり、東北蔑視と言うのか、異民族としての捉え方でしょうね。

京都は山崎の酒屋の親父が「東北は熊襲だ、蝦夷だ」と発言したのと同じです。秀吉より三百年後の長州軍が「白河以北一山一文」などと暴言を吐いたのですから、京都を中心とする関西人は世間知らずなのです。その世間知らずが長いこと政権を握っていますから、外交音痴なのです。自分たちの国、日本を知らないものに外交は出来ません。

北条征伐と言いつつも、秀吉の狙いは伊達をはじめとする東北勢力の掃討が狙いでした。

特に、伊達政宗は斬るつもりでした。が、あまりにも意表を衝いたパフォーマンスに、エンタメ好きの秀吉がほれ込んでしまったのです。

北条征伐の名目を作ったのは真田昌幸です。太閤や石田三成と示し合わせて、上州の小さな城の取り合いを仕掛けます。名胡桃城という、どうでも良い城一つの争奪戦を仕掛け、北条に先に手を出させるという、込み入った芝居を仕掛けます。北条は防衛したつもりが侵略したことになり、大義名分を秀吉に与えてしまいました。まぁ、詐欺に掛かったようなものです。

小田原評定と言えば、優柔不断の代名詞のようにいわれますが、実は、何度も降服、和平交渉の使者を送っています。秀吉が、すべて拒否、門前払いしていただけのことです。

秀吉は、北条の後に徳川を左遷することを決めていましたから、北条に降参されては困ります。徹底的に虐めて、無条件降伏させるしか考えてはいませんでした。

小田原評定とは、太平洋戦争末期の大本営作戦会議を見るようで気が重くなります。

これを見ていたればこそ、関が原後の兼続の撤退・服従判断が出来たのでしょうね。

【NHK大河ドラマ「天地人」をより面白く見るために!】
時代に生きる人物・世相を現代にあわせて鋭く分析した時代小説、ここに登場。
けいはんな都市クラブホームページ運営事務局
メールアドレスの●は@に置き換えてください。