雪花の如く
第10編 越後の雪崩
文聞亭笑一作
四十九年一酔の夢 一期の栄華一杯の酒
謙信の辞世の詩です。
辞世の句といえば、この時代の人たちは名歌を残しています。 秀吉の
露と落ち 露と消えにしわが身かな 浪花のことも夢のまた夢
などは素晴らしい出来ですから、「あれは、後から誰かが取って付けたものに違いない」と思っていましたが、どうやらそうではないらしいですね。 この当時の武将は、戦に出る前には辞世を書置きしてから出陣していたようです。
謙信も突然倒れて、人事不省のまま亡くなったのですから、辞世を詠んでいる暇はありません。誰かが、手文庫から探し出してきて披露したものと思います。
信長の愛吟句である敦盛の歌詞にも「夢幻の如くなり」とあります。
夢…戦国の英雄は皆、夢追い人でありました。
振り返って現代、「夢がない」などとブーたれて、ニートなどしている若者のなんと多いことか。「正社員は制約が多く自由がないから、フリータか派遣が良い」と気楽な稼業を選び、派遣切りにあった連中に同情する気は全くありません。
「少年よ大志を抱け」といってやりたいところです。
友人に「百杯の茶より一杯の酒」と言った人がいます。これまた含蓄のある言葉ですネェ。
さっぱりした付き合いの友人100人よりも、深い付き合いの一人…などとも読めます。
文聞亭のたわごと100篇よりも、謙信の一行の詩…とも読めます。
が…挫けずに10篇目を書きます。
19、「そなた、事実とは何であると思います」
「事実・・・」
「この世には、事実と嘘のあいだに、まことがあります。まつりごとは、そのまことを探し当てるものです。」
「人を欺(あざむ)いても良いとお考えですか。」
「事実が、時によっては人を傷つけ、無用の混乱を招くことがある。目に見える形にとらわれず、国や民にとって、最も善と思われる道を選ぶのが、吾ら残されたものの勤めでありましょう。」
「ではあれは、仙桃院さまが仕組まれた狂言・・・」
「だったらどうだというのです。上杉家を守るためです。バラバラになった家臣たちの心を一つにまとめるためには、あのようにするしかなかった。」
堂々と胸をそらせた仙桃院の態度にかえって兼続のほうがたじろいだ。
真実とは何か…哲学的命題が出てきましたね。
死んでしまった謙信が、自分の亡き後の越後をどのように考えていたのか?
考えていたに違いありませんが、誰にも話していません。何も書き残していません。
真実はあったはずですが、その真実は探りようがありません。
謙信の思い、それが真実です。「お屋形様は景勝に後を託した」と言った仙桃院の言葉は嘘です。 その間にある「まこと」とは、どちらが後を引き継いだほうが、越後がまとまり、他国からの侵略を受けないかという計算です。読みです。
20、―――大将の条件 それはさまざまある。
第一に知性。そして、物事を正確に見極める判断力。決めたことを、迷わずに実行する勇気。己を抑制する力。苦難に耐える体力も必要だ。
仙桃院がなぜ景勝を選んだかですが、女性にしては非情な決断だと敬服します。
どちらをとっても肉親です。しかも、娘婿の景虎には道満丸という可愛い盛りの孫がいます。普通なら独身の兄と孫のいる娘を天秤にかけ悶え苦しむところでしょう。
「兄弟仲よく」と合議制の提案をしたいところですが、それは家臣たちが許してくれません。既に、色々な思惑を秘めて、多数派工作が始まっているのです。
何冊もの小説を読んで、二人の候補者の大将の条件を、私なりに比較してみました。 知性 判断 勇気 抑制 体力 景勝 △ ◎ ◎ ◎ ◎ 頑固な体育会系
景虎 ◎ ○ △ ○ ○ 器用な理性派 景勝と兼続をセットにすれば、兼続が景勝の不足を補えば万全だと判断したのでしょう。
仙桃院が、秘中の秘を兼続に打ち明けるのも、そういう思いがあったからだと思います。
21、越後は真っ二つに割れた。御館の乱の始まりである。
見にくい絵ですが、色だけ見てください。これが、最初の勢力分布図です。
赤は景虎派
青は景勝派
黄色は中立
それぞれの思惑を孕んで、真っ二つに割れています。
詳細は後に譲るとして、約一年をかけた越後の内乱を時系列で追いかけて見ます。
謙信が死んでから葬儀までの間に、前頁のような状態から一気に色分けが変わってきました。
まずは、景虎派の急先鋒だった柿崎晴家が暗殺されます。
次いで、お船の夫・直江信綱が商売敵の北条(きたじょう)高定を、同じ景勝派にもかかわらず暗殺してしまいます。
これで、中立だった上野の北条(きたじょう)一族は一気に景虎派に旗色を鮮明にします。
赤青入り混じっていた勢力図が一気に赤色優勢、景虎派が多数を握ります。
しかも、景虎の実家・小田原の北条も援軍を差し向けてきます。
小田原と同盟している武田は海津城に兵を集め、会津の芦名も北から越後を窺います。いずれも景虎派です。
景勝の春日山城は赤い軍団、景虎派に包囲されて身動きが取れません。
越後の北部は、新発田を中心に景勝派ですから、会津から侵攻してきた芦名軍は雷(いかずち)城の戦いに敗れて撤退していきます。北からの侵略は防ぎました。
が、南から武田勝頼に率いられた武田軍が、国境を越えて侵入してきました。長篠の戦に敗れ、越中、飛騨を失ったとはいえ、武田は甲信駿の3国を持つ強敵です。本気で攻めかかられたら、内紛中の上杉はひとたまりもありません。
が、武田には余り戦意がありませんでした。
同盟国・北条からの依頼で出陣してきたのですから、
いわばお付き合い。北条が出てくるまでは戦争を始める気がありません。 しかし、2万の大軍です。
上野から、北条が乗り込んできて直江信綱の坂戸城を攻めますが、こちらは僅か7千の兵しか出してきません。勝頼は肩透かしを食った思いです。
この間隙を縫って、兼続の武田工作が始まります。
和議の条件は
まず、上杉の領土である東上野を武田に譲渡します。上野の国、現在の群馬県は西半分が武田領、東半分が上杉領でした。
そして利根川沿いに細長く延びた南の地域は北条領です。
3大勢力によって虫食い状態だったのですが、この和議によって大半が武田領に組み入れられます。
勝頼としては2万の大兵力を遠征させた対価として十分です。
さらに、兼続は奥の手を出します。
春日山城に謙信が蓄えた2万両の金貨の半分、
1万両を武田に贈ります。
この当時、武田は甲州金山が枯渇して金欠病に悩んでいたのです。
大喜びで和議に合意し、
景勝の味方につきます。
勝頼は、呼び出しておきながら、僅か7千しか軍を派遣しない北条に腹を立て、坂戸城を包囲している北条軍の後方に回って脅しをかけます。
北条は、あまりやる気がない上に、武田に攻められては何をしに来たか分かりません。
北条軍は坂戸の包囲を解いて、撤退を始めます。それを確かめて、武田軍も撤退します。
日和見していた越中、能登の勢力も雪崩を打って景勝派に尻尾を振ってきます。
前のページでは真っ赤だった春日山城の周りは、景虎の籠もる御館を残して、真っ青に塗り換わりました。武田の侵入が、結果的には景勝に勝利を呼び込む結果になったのです。
上野半国と1万両の代わりに、勝頼は妹の菊姫を景勝の正妻として送り込んできました。
人質を差し出す形ですね。武田・上杉同盟の締結です。
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