雪花の如く 第4編 鉛色の雲
文聞亭笑一氏作”雪花の如く”を連載します。NHK大河ドラマ「天地人」をより面白くみるために是非ご愛読下さい。
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各編と配布月日
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第27編:07月16日号
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第24編:06月25日号
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第15編:04月23日号
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第13編:04月01日号
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第11編:03月21日号
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第07編:02月18日号
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第03編:01月21日号
第02編:01月14日号
第01編:01月07日号

雪花の如く

第4編 鉛色の雲

文聞亭笑一作

しばらくNHKとは別に、背景説明を続けます。

喜平次も与六も、実に粘り強くしたたかな人生を送りますが、その基盤になったのは越後の風土にあると思われます。日光が燦々と降り注ぐ太平洋沿岸の風土と、半年近く雪に閉ざされる日本海側では生活のリズムがおのずから違ってきて当然です。

私も、日本海側ではほとんど生活したことは有りませんが、ちょっとだけ滞在したことがあります。大学の受験で3日ほど過ごしました。学生時代の企業実習で1ヶ月ほど暮らしました。会社の工場が山陰にありましたから3日、4日の単位で過ごしました。

僅かそれだけですが・・・「住みたくない」と痛烈に感じましたネェ。 きっと、日本海側育ちの方には叱られますが・・・冬の鈍色の空は、慣れないと耐えられません。慣れる前に逃げ出して、合格した大学も、内定した電力会社も捨てました。冬の背丈を越す雪の壁、夏の・・・裸でも耐えられない蒸し暑さ・・・命の危機を感じてしまいました。

4、越の人の冬の暮らしは、空を覆う鉛色の重い雲と、吹きすさぶ寒風、そして根雪に閉ざされる。中でも日本有数の豪雪地帯として名高いのが越後の「魚沼郡」である。

「トンネルを過ぎるとそこは雪国であった」 ノーベル賞作家川端康成の代表作「雪国」の書き出しですが、魚沼、長岡の冬の積雪は半端ではありません。背丈を越す雪に覆われて、身動きが取れません。単独行動などしようものなら命の保障はないでしょうね。ましてや太平洋側の人間が勝手なことをすればイチコロ・・・凍死すること請け合いです。

寒いだけなら信州や北海道でも寒いのですが雪の恐ろしさは、雪に閉じ込められた経験がないと分からないと思います。スキー場ではそれなりに雪原が整備されていますから、さほど感じませんが、新雪が50cmを越えたら装備無しには身動きが取れませんからね。

魚沼産コシヒカリ、米のブランドとしては最高級ですが、あのような美味い米が出来るのは深い雪と無関係ではないでしょう。暖かい地方では二期作、二毛作と田や畑を休むことなく使いますが、雪国の農地は、年に一回しか使いません。5月に田植えをして9月に刈り取る、年に半年も使っていません。その分土壌が疲れないのです。しかも、積もる雪には空気中や宇宙からのミネラルが蓄積されます。これがじっくりと土壌にしみこみますから、米にとっては最高の生育環境ではないでしょうか。米が美味くて当然で、種子だけ持ってきても太平洋側では真似することは困難だと思います。

5、この国は「越」と呼ばれた。古志とも高志とも書く。 越の由来はいろいろとあるが、筆者はロマンをこめて私見を述べたい。 この地名の由来は中国の春秋戦国時代、江南の地にあった越国から来ているのではなかろうか。越国は今の浙江省紹興を首都とする古代国家である。この国は米の一大生産地であり、米から作った紹興酒は「越酒」の名で呼ばれている。

地震で一躍有名になり、村長さんが国会議員になった山古志村・・・魚沼郡です。

原作の火坂雅志氏の説には100%合意します。

越と呼ばれた日本海側には大和政権が誕生する前から、中国系の移民が大量に海を渡ってきていたものと推測します。古古代の日本は、蒙古、シベリアから樺太・北海道を経由して渡ってきた住民が採集を中心として暮らしていました。

一方、九州は太平洋側には東南アジアから黒潮に乗って渡ってきた漁労を中心とする住民がいました。

よって建つところ、つまり食糧供給の原理が全く違う二つの種族は、争うこともなく、互いに物々交換で縄文という文化を形作っていたものと想像します。当然混血も起こりますし、文化交流も活発で、言葉も同化し、原始日本語が形作られてきたのではないでしょうか。

東日本は狩猟採集系の蝦夷(えみし)、西日本は漁労採集系の熊襲・隼人の集落だったと思います。

この文化が数千年続いた後に、中国で覇権争いに敗れた種族が、東シナ海から対馬海流に乗ってこの国にやってきたものと推測します。

山陰にたどり着いた種族が出雲族、そして更に北へ逃れてきたのが越族ではなかったかと思います。

越・・・呉越同舟の成語に出てくる越の国です。紹興酒の、酒の国です。

北陸は銘酒の宝庫です。

久保田万寿、越の寒梅、八海山・・・日本酒好きにはたまらない銘柄は、みな日本海側です。

6、謙信公の曰く。天の時、地の利に叶い、人の和ともに整いたる大将というは、和漢両朝上古にだも聞こえず。いわんや、末代なお有るべしとも覚えず。もっとも、この三事整うにおいては、弓矢も起こるべからず、敵対するものもなし

越後の国は戦国の中期まで麻糸のように乱れ、地方・地方の豪族が割拠していました。 謙信の父親・長尾為景がようやくにして越後の大半を統一して戦国の一大勢力に成長しましたが、それを更に強化して戦国の強豪に仕立て上げたのが謙信です。

謙信はいくつかの家訓を残しています。ここに挙げたものは原作者の火坂雅志が引用した<北越軍団付録>に収められたものですが、有名なのは16か条からなる謙信遺訓です。

2年ほど前に「塩の道」と題したシリーズで紹介したものですが、謙信の人柄を知る手がかりとしてはもっともわかりやすいように思います。

喜平次・景勝も、与六・兼続も、師と仰ぎ、終生追いかけたテーマは、この、謙信遺訓ではなかったかと思います。

謙信遺訓16か条、それぞれに含蓄があります。

1、 心に物なきときは、心広く体泰(ゆたか)かなり

2、 心に我慢なきときは、愛敬失わず。(*1)

3、 心に欲なきときは、義理を行う。

4、 心に私なきときは、疑うことなし。

5、 心に驕りなきときは、人を敬う。

6、 心に誤りなきときは、人を畏れず

7、 心に邪険なき時は、人を育てる(*2)

8、 心に貪り(むさぼり)なきときは、人にへつらうことなし

9、 心に怒りなきときは、言葉和(やわ)らかなり

10、心に堪忍あるときは、ことを調う(ととのう)(*3)

11、心に曇りなきときは、心静かなり

12、心に勇あるときは、悔やむことなし

13、心賎し(いやし)からざるときは、願い好まず(*4)

14、心に孝行あるときは、忠節厚し

15、心に自慢なきときは、人の善を知り(*5)

16、心に迷いなきときは、人を咎め(とがめ)ず

(*1)我慢…我意を張ること、自説に固執すること

(*2)邪険…正しくない考え方、ひねくれたものの見方

(*3)堪忍…相手を許す気持ち、我慢強さ

(*4)願い…僥倖に期待すること、分不相応な願い

(*5)自慢…うにぼれ、自己過信、身内へのエコ贔屓

これから新潟では観光案内が盛んになると思いますが少々早めに・・・。

【NHK大河ドラマ「天地人」をより面白く見るために!】
時代に生きる人物・世相を現代にあわせて鋭く分析した時代小説、ここに登場。
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