雪花の如く 第15編 包囲網
文聞亭笑一氏作”雪花の如く”を連載します。NHK大河ドラマ「天地人」をより面白くみるために是非ご愛読下さい。
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各編と配布月日
第28編:07月23日号
第27編:07月16日号
第26編:07月09日号
第25編:07月02日号
第24編:06月25日号
第23編:06月18日号
第22編:06月11日号
第21編:06月04日号
第20編:05月28日号
第19編:05月21日号
第18編:05月14日号
第17編:05月07日号
第16編:04月30日号
第15編:04月23日号
第14編:04月16日号
番外編 :04月09日号
第13編:04月01日号
第12編:03月21日号
第11編:03月21日号
第10編:03月12日号
第09編:03月04日号
第08編:02月25日号
第07編:02月18日号
第06編:02月11日号
第05編:02月04日号
第04編:01月27日号
第03編:01月21日号
第02編:01月14日号
第01編:01月07日号

雪花の如く

第15編 包囲網

文聞亭笑一作

織田信長による武田討伐戦は、信長の絶頂期です。武田軍の弱体化もありましたが、それ以上に、織田勢力の戦力充実が進んでいました。

戦争で勝負を決するのは経済力です。戦闘力はその反映に過ぎません。

日本では精神論や、戦争技術面を重視する傾向があって、「精神一到何事かならざらん」と団結力を重視する傾向が強いのですが、短期の局地戦を除いては、この言葉は通用しないのです。オリンピックにしても、WBCなどを見ていても、 「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」という上杉鷹山の名文句が引き合いに出されますが、国民の支援を得て、資金をふんだんにつぎ込んだチームが勝つのです。野球での、韓国の強さなどはその典型でしょう。

ともかく、信長は金に糸目を付けず、安土城の建設に熱中していました。

本願寺を追い出して、近畿圏を完全に掌握し、日本経済の2/3は信長の傘下にあったのです。海外貿易の中心地であり、商業資本の大半を抑える堺が、完全に信長の支配下に組み込まれていました。堺の資本力だけで、日本全体の半分を超えていた時代です。農業よりも、商工業を重視したところが、革命児としての、信長の真骨頂ですね。

この流れを受け継いだのが秀吉で、反革命を起こして農本主義に戻ったのが家康です。

歴史に「もしも…」はありませんが、もし、本能寺の変がなかったら…後10年間信長の革命政権が続いたとしたら、200年早く大日本帝国が出現していたのかもしれません。

商業資本中心の政治に、海外侵略はつき物です。中国やアジアへの侵略戦争を起こし、イスパニア、イギリスなどと、三つ巴の戦争になり、東南アジアを荒らしまくったことでしょう。秀吉の朝鮮出兵も信長の方針を引き継いだというよりは、商業資本、金融資本が中心の政権の、当然の成り行きです。その意味ではブッシュ政権のアメリカも、よく似た傾向を持っていましたね。「自由」という正義の旗を掲げながらも、金融バブルに乗って、アラブの価値観に文化的侵略を試みました。

34、「信長は悪だ。謙信公のもと、義の旗を掲げてきたわれらが、あのような化け物に断じて負けるわけには行かぬ。そうであろう、与六。」 泉沢久秀が腕組みをして黙っている兼続に向かって、吐くように言った。
「確かに信長には欠けたところがある。一人の人として、人間として、踏み外してはならぬ道を踏み外した。
だが、世の中は理不尽なものだ。その、人の心を持たぬ外道が、新しい時代の扉を押し開けることもある。

正義という言葉ほど扱いにくいものはありません。一方の正義は、それに反対するものにとって悪なのです。

身近なところでは春闘。これまた立場によって正義と悪徳が逆転します。労働者にとっての正義と、経営者にとっての正義は相反してしまいますが、所詮はコップの中の嵐です。互いに正義を主張しすぎれば、会社が成り立たなくなり、経営不振から、悪くすれば倒産します。最近でこそ労務倒産という事例は減りましたが、総評全盛時代にはよくあった事例です。

兼続が、ほかの仲間たちより一歩抜きん出て、景勝の信頼を勝ち得ていたのは、こういう複眼の着眼点にありました。「信長は悪だ」と決め付ければ、信長勢力の躍進の原因が見えません。信長を支援する、影の勢力が見えてきません。自由経済を求める、堺の大商人たちの思惑までは見えなくなってしまうのです。

信長のやった大改革の中で、特筆すべきは楽市楽座でしょうね。

楽市とは、商業の自由化。楽座とは工業の自由化です。

こういう経済の基本思想があればこそ、鉄砲の量産も可能になりますし、兵農分離も、大胆な人材登用も可能になったのです。

信長の50年後に完成した徳川政権と比較してみたら歴然とします。家康・家光のやったことは、士農工商の身分制度をはじめ、鎖国、統制経済…どれをとっても反革命の政策ばかりです。

ただ、信長という人は、どこかに精神的欠陥を抱えていたようです。一種の精神障害で、躁鬱症というのか、癲(てん)癇(かん)質というのか、やり出したらブレーキがかからなくなるようで、対人関係では失敗ばかりです。明智光秀の謀反も、なるべくしてなった当然の報いだったような気がします。

昭和の初期、ドイツで猛威を振るったナチス・ドイツのヒットラーも似た体質だったようですね。

35、「我が上杉軍はただの軍勢ではない。義によって戦う男の集まりであることを、皆に思い起こさせよう。利で結びついた集団は、武田軍がそうであったように、もろくて崩れやすい。織田軍とて同じだ。そこにこそ、ただ一点、我らの付け入る隙がある。

戦争は経済力だと書きましたが、経済力に加えて思想的裏づけも必要です。

人間は理屈だけで動くものではなく、情でも動きます。いつの世の中でも、経済的利益こそ最大の関心事ですが、「正しい生き方をしたい」という願望もあります。

陰陽の世界では「理49% 情51%が理想的スタンス(中庸)」と言うようですが、なんとなく分かる気がします。高校野球などを見ていると、理由もなくどちらかの肩を担いで応援している自分に気が付きますが、多分、7割方が情の世界でしょうね。

「なぜ、そちらを応援したのか」と聞かれたら、「私立より公立、西よりも東、都会より田舎、・・・」など、四の五のと理屈をこじつけますが、そんな理屈で応援したわけではないのです。ただなんとなく…です。(笑)

上杉軍は、謙信というカリスマに魅せられた集団でした。その虚像が御館の内乱で消え去り、後継者になった景勝にはカリスマ性がありません。似ているところといえば、無口で、必要なとき意外は口を開かないという点だけでした。政治向きのことは、そのほとんどを兼続が代弁しています。それだけに、兼続としては、バックボーンになる「経営理念」が欲しかったのです。「義」の一字に、万感の思いを載せて、集団を引っ張ろうとしたのでしょう。謙信の16か条の遺訓なども持ち出しましたが、それはずっと後になってからの話です。

「義」という旗印は、「企業は公器である」と同様、文句の付けようはありません。

経営指針・社訓・社憲・社是などというものは「単純明快」がよいのです.

36、迷いはない。悔いもない。生きようとも思っていない。
魂は生への執着を離れ、ただ純粋に死のみを見据えている。その死の地平はるか彼方にこそ、かすかな希望の光があった。  兼続も、そして主の景勝も、かつてないほど晴れ晴れとした、涼やかな表情をしていた。

作者、火坂雅志の名文の一つではないかと思います。

武田を倒した後、織田の標的は上杉になります。越後を取るということは、領土的意味はそれほど大きくはありませんが、戦国最強といわれた武田を破り、上杉も破ったとなれば、その政治的宣伝効果は絶大です。東国の北条ばかりでなく、秀吉と対決中の毛利、更には九州の島津にとっても、信長に逆らうことに腰が引けてきます。ましてや、自分のサレコウベで酒を飲まれるなど、考えてもゾッとします。

信長の上杉への布陣は周到でした。従来の北陸道から柴田、前田、佐々の軍勢が迫ります。信濃から森長可が海津城を拠点に睨みを利かし、上野から滝川一益が三国峠越えを狙っています。更に、待遇に不満を持つ下越地方の新発田を中心とした豪族たちが、信長の調略によって反乱を起こします。

四面楚歌、東西南北すべてから敵が迫ってきます。景勝の動員兵力は1万強しかありません。一方の織田軍は、北陸から3万、信濃から1万、上野から7千、反乱軍が5千ですから、3倍から4倍の部隊が4方向から攻めてきます。防ぎようがありません。

織田軍からすれば、勝利は見えています。楽勝パターンですが、4方向に分散していますから、軍の移動に統一性がありません。4つの兵団が勝手に動いているだけです。しかも、功名争いの感がありますから、連合軍としての組織力はありません。

まずは、柴田勝家を大将にした主力の北陸軍が魚津城に攻めかかります。守備兵は籠城して援軍を待つしかありません。景勝の本隊も応援に駆けつけますが、戦力に劣りますから攻撃を仕掛けられず、にらみ合いです。

そこへ、信濃から森軍、上野から滝川軍が国境に迫ります。信濃から春日山は至近距離、留守を狙われたら本拠地を失います。絶体絶命のピンチですね。

【NHK大河ドラマ「天地人」をより面白く見るために!】
時代に生きる人物・世相を現代にあわせて鋭く分析した時代小説、ここに登場。
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