雪花の如く 第6編 雪に咲く花
文聞亭笑一氏作”雪花の如く”を連載します。NHK大河ドラマ「天地人」をより面白くみるために是非ご愛読下さい。
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各編と配布月日
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第27編:07月16日号
第26編:07月09日号
第25編:07月02日号
第24編:06月25日号
第23編:06月18日号
第22編:06月11日号
第21編:06月04日号
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第19編:05月21日号
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第16編:04月30日号
第15編:04月23日号
第14編:04月16日号
番外編 :04月09日号
第13編:04月01日号
第12編:03月21日号
第11編:03月21日号
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第07編:02月18日号
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第03編:01月21日号
第02編:01月14日号
第01編:01月07日号

雪花の如く

第6編 雪に咲く花

文聞亭笑一作

原作の「天地人」ばかりでなく、兼続物のどの本を読んでみても、謙信が兼続にかける期待は異常なほどです。趣味が合うというのか、馬が合うというのか、ともかく、可愛くて、可愛くて仕方がない、孫か末っ子のような存在だったようです。

同様な関係が武田信玄と真田昌幸にも言えます。昌幸は後に兼続と複雑な関係を持つことになり、次男幸村とも兼続とは密接な関係を持つことになります。直江兼続と真田昌幸、この物語の横糸でもあります。縦糸ですか? 兼続と石田三成の関係です。

10、「そなたは雪をどのように思う」
「越後では、冬空を鉛色の重い雲が覆い、寒風が吹きすさび、年の内半分近くを雪に閉ざされまする。野良仕事は出来ず、海は荒れて船も出せませぬ。辛くて、厳しく、この地に暮らす者たちの心に覆いかぶさっております。」
「されば、雪は嫌いか。」
「いえ、雪は辛いものですが、それだけではございませぬ。長い冬が終わり、春になれば、山から清冽(せいれつ)な雪解け水が流れ出します。ちょうど田植えの頃、その水は田を満々と潤し、豊かな実りを約束してくれるのです。越後の民にとって、雪はなくてはならぬもの」
「長い冬があるからこそ、春の喜びは深い。そう思って眺めると、雪もまた、味わい深いものではないか。」
(略)
天才は孤独なものである。
謙信自身は若い世代の人材を育てる…というほどの、強い教育熱はなかったであろうが、みずみずしい感性を持った兼続のような若者を相手に、自らの思想を語るとき、謙信の孤独は多少なりとも癒されたに違いない。

長い引用になりましたが、謙信と兼続の思想的背景、生き方の根底に流れるものはこの会話ではないかと思います。謙信は雪に邪魔されて中原への夢を絶たれてしまったのだとする見方が多いのですが、雪と郷土を愛した謙信が、ついでの仕事に上洛を試みたと考えれば、悲劇の英雄ではなく、満足して死んでいったとも考えられます。

将軍を夢見た今川義元や武田信玄、さらに天下布武を狙った織田信長とは、違った目標に生きた人であったような気がします。

この点は小田原の北条氏康も同じタイプで、上洛など一切考えなかった人でした。景勝のライバルとして上杉に養子に来ていた三郎・景虎はその氏康の息子です。

欲がないといえばそれまでですが、郷土に対する思いの深さという点では、その他の戦国武将とは一味違います。兼続が兜の前立てに掲げた「愛」の文字、これには郷土愛という色彩を濃厚に感じます。京の都より、「住めば都」に徹した人ではなかったか?

11、謙信の好敵手であった、甲斐の武田信玄の強さの原動力は、戦国最強をうたわれた騎馬軍団の機動性と組織力、信玄の巧みな戦略にあった。
一方、謙信の強さの源は、その抜きん出た経済力にあった。

両雄の比較ですが、ここでは原作者に若干異論をさしはさみます。謙信の経済力については全く異論がありませんが、信玄の強さの源は「貧しさ」にあったと思います。

甲斐、信濃という、産業のない、流通も不便な山国では、富を生み出す道が閉ざされていました。海を得ない限り、交通網を確保しない限り、貧しさから脱却できない環境なのです。北の海か南の海、東の大平原か西への交通網、どれでもいいから山から出たい、このハングリーさが知恵を生み、武力を鍛えたものと思います。

現在はどうか知りませんが、長野県が全国屈指の教育県であったのは、まさにこの点だったのです。東京でも名古屋でも、京大阪でもどこでもよい、国を出たい、そのためには学問を修めるしかない。

これが甲斐、信濃の伝統的精神風土なのです。

越後経済についても説明しておきましょう。

この当時から主たる産品は米です。信濃川、阿賀野川、魚野川、関川…大河が流れ下ります。信濃の山岳地帯の水をたたえた信濃川、会津の水を運ぶ阿賀野川、谷川岳などの上越の山々からの水を集めた魚野川、妙高・黒姫の水を運ぶ関川、そして安曇からの水を運び翡翠(ひすい)に輝く姫川、越後は水の国なのです。

この豊富な水に恵まれて水田が谷間ごとに開けます。謙信当時の石高は32万石ですが、これは税収分だけの収量だったのでしょう。

このほかに越後には弥生以来の特産品がありました。青苧(あおそ)です。麻の一種ですが雪深い里に産する青苧(あおそ)は京の都でも一級品の高級ブランドでした。現在でも小千谷(おぢや)縮(ちぢみ)といえば高級な麻織物です。この収益は莫大でした。特産品とその流通収益の源は、国の宝です。それを生み出す技術力と営業力こそが経済力の基本だったのです。

現在でも越後、中越地方の名産、小千谷縮は健在です

小千谷縮の詩 <北越雪譜> 小千谷織物同業協同組合HPより

雪中に糸をなし 雪中に織り

雪水に洒(すす)ぎ 雪上に晒す(さらす)

雪ありて縮あり  雪こそ縮の親というべし

未曾有の経済危機、などといって縮んでいてはいけません。技術を磨き、営業努力を続けることこそが危機脱出の切り札なのです。熊は冬眠しますが、人間に冬眠は似合いません。

12、わしが信長と戦うのは義を行うためだ。他に意図はない。
義とは、人が人であるための心得だ。義なくば、人はただ欲にまみれ、野の禽獣(きんじゅう)と変わらなくなるだろう。
信長の行為は、義にあらず。かの者はただ、自らの利を追い求めているに過ぎぬ。
人を人として見ておらぬゆえに、無辜(むこ)の民の命を平然と奪うことが出来る。
目先の利益しか見えなくなったものは哀しい。
わしは信長に、いや天下の万民に、利を得ることより崇高なものがあることを知らしめたい。人が人であることの美しさ、それがわしの考える義だ。

兼続の、武将としての初陣は能登の七尾城攻めです。

中央政権に興味のなかった謙信ですが、15代将軍の義昭が信長から捨てられて都落ちするに及んで堪忍袋の緒が切れました。信長のやり方には大して興味はなかったのですが、比叡山焼き討ち、石山本願寺攻めに続く義昭追放で、信長の本性に見切りを付けました。

合理主義者と原理主義者の決定的対決を迎えた局面です。

この構図、現代のどこかに当てはまりませんか?

謙信が掲げた旗は「毘」ですが、地球のかなり西のほうに掲げられた旗には「イスラム」と書いてあります。彼らの目指すところが何かは知りませんが、「義」に近いものかもしれませんねぇ。アメリカ型の、行き過ぎた合理主義に対して反旗を翻(ひるがえ)しています。

地球上の人口の1/3を超える人たちの宗教的正義と、西欧社会の合理主義の対立が尖鋭化しているのが、現代の国際情勢です。オバマさんも「テロとの戦い」を打ち出していますが、テロという行為の裏側にある「イスラムの正義」について、謙虚に聞く耳を持たなければならないでしょう。

そういう文聞亭も、イスラムについては全く門外漢です。 日本人ばかりでなく、西欧人も分かっていないのではないでしょうか。

テロという無差別攻撃はイスラムの正義に則っていたとしても許すことは出来ませんが、これだけ地球が狭くなってしまった現代では、イスラムとキリストの融和こそが人類最大のテーマです。

テロリストを非難し、空爆を非難し、観客席から「やめろ」と騒いでいても対立は収まりません。世の中には非合理の世界、情の世界もあるわけで、「理」だけで割り切ろうとしすぎては問題が片付きません。

謙信の語録の第3条は

心に欲なきときは、義理を行う。

私利私欲、計算ズクで行う義理の付き合いは本物ではない。

義(正しいこと)は欲得なく行うものだ。

となっていますが、欲を捨てるということは実に至難の業ですね。

さらに

心に迷いなきときは、人を咎めず

しっかりとした信念を持って物事を行うならば他人の行動や、意見、環境の変化などは問題ではない。事を始める前に、胆(はら)を決めて物事に当たろうではないか。

そうすれば他人の行動は単なる変化のひとつに過ぎず咎め立てすることでもない。

とも書いてあります。

欲があるから迷いもするのが凡人です。謙信のように、宗教的にはなれませんが、欲のかき過ぎだけは、ほどほどにしたいものです。

【NHK大河ドラマ「天地人」をより面白く見るために!】
時代に生きる人物・世相を現代にあわせて鋭く分析した時代小説、ここに登場。
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