雪花の如く
第8編 手取川
文聞亭笑一作
この頃、織田信長も七尾城救援のために兵を動かしていました。北陸方面軍団長の柴田勝家を旗頭に、前田利家、佐々成正などの与力に加え、丹羽長秀、羽柴秀吉、滝川一益など、織田軍団の錚々(そうそう)たるメンバーが勢ぞろいしていました。 本願寺を包囲中の佐久間、畿内守備の明智、荒木を除けば投入できる戦力のすべてを注ぎ込んできています。その数3万人。大兵団です。一方の上杉軍は2万人弱ですから、数の上では織田軍が有利ですが、局地戦の勝負は数だけでは決まりません。
織田軍3万の中で、本気で謙信と戦う気があったものは北陸担当の柴田、前田、佐々だけで、ほかの面々は嫌々ながらのお手伝いです。特に秀吉は全くといってよいほどやる気がありません。
「七尾城方面の情報が全くないのに、進軍するのには反対だ」
と、正論を唱えて勝家と対立し、挙句の果ては兵をまとめて長浜に帰ってしまいます。
そこまではしませんでしたが、丹羽も滝川も、勝家の方針には快い返事をしませんから、
織田軍全体の行動は遅くなります。
実は、秀吉の判断は正しかったのです。そのとき既に七尾城は陥落し、謙信の軍勢は金沢の近く、津幡まで進出してきていました。目と鼻の先に敵がいたのに、能登の七尾にいるとばかり思っていたのですから、織田軍は完全に立ち合い負けです。
上杉方の情報管制というより、金沢御坊に集結した門徒衆の草の根の力でしたね。
もともと「百姓のもてる国」といわれた加賀ですから、門徒の組織力は絶大です。織田軍の偵察部隊や忍びは、ことごとく捕らえられるか、斬られて情報は皆無でした。
坂上天陽の「軍神の系譜」に地図がありましたので、引用します。文字が見えにくいので、少し加工してみます。
七尾から決戦場の手取川まで随分と距離があります。
謙信の本陣は松任城にあり、先遣部隊は既に金沢御坊に入っています。
それを知らずに出水中の手取川を越えたのですから、まさに背水の陣。逃げ場がありません。奇襲攻撃を受けて我先に逃げ出しました。
やる気のない丹羽、滝川が真っ先に逃げ、続いて佐々、前田まで逃げ出します。残ったのは柴田の5千だけ。よく防ぎましたが総崩れです。
上杉に逢うては織田も手取川 跳ねる謙信 逃げる信長 と戯れ歌になりました。
16、「謙信殿は、天下は取っても取らなくても、どっちでもよいとお考えのようですね。」
うしろで、呟くように初音が言った。
「天下取りは、おのれのまことの目的ではない。天下を取るということは、すなわち他者を蹴落としたいという欲の現れ。欲がないからこそ、謙信殿はお強い……」
原作では、初音は全国を飛び歩く間諜として登場しますが、NHKでは信長の使者として登場しましたね。所詮は架空の人物ですから舞台回しに作家の思いが載ります。
そういえば、七尾城攻めから手取川の合戦にかけての、兼続の描き方も作家によってさまざまです。
火坂雅志の原作では景虎と陣中で喧嘩をしたのを咎(とが)められ、雲洞庵で謹慎したことになっています。 しかし、手取川で重傷を負い、加賀で野武士の群れと行動を共にしたという小説もあります。(永岡慶之助;「上杉謙信と直江兼続」) また、謙信とともに「月三更」の漢詩を楽しんだという小説もあります。(星亮一;「上杉景勝」)
つまり、この頃の兼続の行動の記録がないのでしょうね。こういう空白のときこそが小説家の面目躍如の場面で、何とでも創作できます。記録のある部分から、次の記録のある部分まで、思う存分に想像を展開できます。 どんな偉人でも、記録のない部分というのは平穏で、歴史に残るような事件を引き起こしてはいないのです。信長、秀吉、家康、皆そうなのですが、彼らは専門の小説家を雇って格好の良い自分史をでっち上げましたね。
それだけ、情報には強かったともいえます。新田源氏を創作した家康、バレないように、バレないようにと、細心の注意を払いました。 これも石川数正が出奔した理由の一つだと推測しています。オット、別のシリーズの話でした。
天下取りレースに謙信が消極的だった…という仮説ですが、手取川の大勝から引き上げてしまった決断を指して、そう言われています。確かに、当時の織田勢は柴田軍が壊滅し、
前田、佐々、金森などは城に逃げ込み、丹羽、滝川は一目散に京都に逃げ帰っています。
追撃をかける絶好のチャンスにも思えますが、城に籠もってしまった敵を掃討するのは、なまじっかな努力では出来ません。城攻めは多大な戦力の消耗を伴います。
しかも 霜は軍営に満ちて秋気清し という季節です。あと一ヶ月もすれば北陸道は雪に閉ざされます。兵糧、武器弾薬の輸送路の確保が難しくなります。謙信の撤退判断は、むしろ正解ではなかったかと思います。豪雪の中では戦は出来ません。その間に南に補給路を持つ織田軍は着々と軍備を整えます。状況は悪くなるだけです。
それは、政権樹立への欲とは関係なく、純粋な軍事的判断ではなかったでしょうか。
17、「男と女の仲は戦のようだな」
「え?」
「相手の心を奪わんと、秘術を尽くして戦うのが恋であろう。戦に破れたのはお悠どののように見えるが、それはどうだろう。お屋形様も、胸の奥で傷つき、血を流しておられるような気がする。」
雲洞庵にこもって謹慎中のところに、幼馴染のお船が現れます。
これが、原作では兼続とお船の再会で、このあと一緒に春日山へと向かうのですが、雪崩に巻きもまれたお船を、兼続が必死で探し出し、体を抱いて暖めるという場面が感動的なのですが・・・。
ともかく、雲洞庵ではお船の姉・お悠と謙信の恋について語り合います。
男と女の関係が戦のようなものか? そうも思えますし、いや、違うとも思います。
恋の段階では手練手管を含め、全知全能を発揮するのは確かですが、そういう緊張状態は長続きしません。男と女の遺伝的体質の違いかもしれませんが、男の緊張は長続きしないのです。 一方、女は、恋の状態を長引かせようとします。ここが破局の元なんでしょうね。
昔に比べたら離婚率が大幅に増えていますが、根っこにあるのは男と女の持って生まれた性格の違いを、容認できるか否かの差でしょう。我慢、辛抱、これも…男と女の関係では重要な要素の一つです。
謙信の女嫌い…性欲を我慢するか、女の我侭を我慢するかの二者択一の結果、性欲のほうを我慢したのではないでしょうか。そういうところも宗教家的でしたね。
18、まさに雪国人独特の気質を景勝は身に備えていた。
万民を治めるのに必要なのは、うわべのよさや、口先のうまさではあるまい。
真に民を思い、民のために身を捨てて行動する誠実さこそ、国を治めるものの器量であろうと兼続は思う。
どの本を読んでも、景勝は極端な無口に描かれています。もしかすると、強度のドモリであったのか?とすら思います。
そういえば「アーウー総理」と呼ばれた人もいました。口数が少なくマスコミには不人気でしたが、高度成長期を支えた一人でもありました。三角大福と呼ばれたうちの一人です。
振り返って現代、うわべのよさ、口先のうまさが政治家の資質になりました。そうでないとマスコミが許してくれません。 「隠蔽体質」「裏取引」と騒ぎ立てます。流行語大賞は辞退しましたが「あなたとは違うんです」と最後っ屁すら吐きたくなるご時勢ですから、国を治める人は口先がうまくないといけません。ましてや漢字は正しく読まないといけません。(笑)
真に民を思い、民のために身を捨てて行動する誠実さ これは現代でも共通しますが、民が我侭になりすぎて、てんでバラバラですから、どれが民か分からなくなっているんでしょうね。 権利主張ばかりする民ですから、民のために手を打とうとすれば、お金がいくらあっても足りません。お金のことは棚に上げて、民のために国を捨てて行動する政治家が増えているようで心もとない限りです。
謙信、景勝、兼続は越後の民のために精一杯努力した政治家であったと思います。 が、天下の国民にまで視野が届いていたかどうか、疑問は残ります。
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