雪花の如く 第25編 豊臣内閣
文聞亭笑一氏作”雪花の如く”を連載します。NHK大河ドラマ「天地人」をより面白くみるために是非ご愛読下さい。
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各編と配布月日
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第31編:08月20日号
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第30編:08月06日号
第29編:07月30日号
第28編:07月23日号
第27編:07月16日号
第26編:07月09日号
第25編:07月02日号
第24編:06月25日号
第23編:06月18日号
第22編:06月11日号
第21編:06月04日号
第20編:05月28日号
第19編:05月21日号
第18編:05月14日号
第17編:05月07日号
第16編:04月30日号
第15編:04月23日号
第14編:04月16日号
番外編 :04月09日号
第13編:04月01日号
第12編:03月21日号
第11編:03月21日号
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第08編:02月25日号
第07編:02月18日号
第06編:02月11日号
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第04編:01月27日号
第03編:01月21日号
第02編:01月14日号
第01編:01月07日号

雪花の如く

第25編 豊臣内閣

文聞亭笑一作

NHK大河の流れがゆったりとしていますので、原作から離れて当時の人間模様を見てみましょう。この時代は歴史小説の主役になるような人材が、たくさんいます。

事実、大型のブックストアに行けば「天地人フェア」「兼続フェア」などという旗や、看板が掛っていて、戦国期を彩った人たちを主役にした物語が山積みされています。全部そろえたら…たちまち、本箱がいっぱいになるでしょうね。兼続、景勝を主役にしたものだけでも10冊を超えています。

NHKでは豊臣政権を支え、切り盛りした大臣クラスとして、石田三成を筆頭に前田利家や、小早川隆景などが登場してきていますが、当時の政権運営を取り仕切ったメンバは、彼らだけではありません。現代風に内閣の構成を見てみれば、石田三成は内閣官房長官と言うところでしょう。秀吉の意向の伝達役ですが、内閣の中で特別に力を持っていたわけではありません。企業で言えば秘書課長、社長室長です。

秀吉と三成…性格的には似た者同士でしたね。秀吉のアイディアに、さらに工夫を加えますからアッと驚く新施策が出てきます。それだけに手際が水際立っていて、「お見事!」と、喝采を浴びるのです。

秀吉にアイディアを提供したのは、その取り巻きであるお伽衆と呼ばれるメンバでもありました。情報要員であり、企画部員であり、その上、広告宣伝や、使い走りもします。

千利休、曽呂利新左衛門、今井宗久などの堺の商人たちや、信長の弟である織田有楽斎、天皇の歌の師匠である細川幽斎、狩野永徳ほかの狩野派の絵師などの文化人も、政策決定に参画します。さらには、徳川を裏切って豊臣に走った石川数正もこの一員ですし、毛利から秀吉の傘下に入った小早川隆景も政策提案者の一人です。

そうですね、有識者による諮問委員会的な位置づけでもありました。

そういう人材を自在に集め、その特質を使い切る能力、これこそが秀吉の真骨頂です。

人使いの名人、悪く言えば人たらしの名人、これこそが秀吉の天才的能力でした。ただ、使い捨てにしすぎましたね。捨てられた連中の怨念が、秀吉の評判の足を引っ張りました。

しかし、使い捨てにできるほど人材が豊富だったのが戦国時代の特徴でもありました。

表があれば、裏があります。裏がしっかりしていて、政権を支えていてこそ成り立ちます。

秀吉内閣の副総理、兼 財務大臣は羽柴秀長…秀吉の弟です。

秀吉は政治、軍事で異才を発揮しますが、その裏で経済全般を取り仕切っていた重鎮が、秀長です。彼がいたればこその豊臣政権で、諸侯や部下たちの不平不満などは、ほとんどを秀長が処理していました。裏方としては最高の人材でしたね。秀吉は天才的なアイディアマンですから、やりたい放題に新機軸を打ち出しますが、それに修正を加える役割でもあります。

ビジョンを実行計画に変えて、推進管理する役割でもありました。

「組織の力はNo2の力量次第」などと言われます。

現代にも通じる重要な組織編成のキーワードですが、トップの欠点を補い、行き過ぎにブレーキをかける役回りです。トップの活躍が派手であればあるほど、NO2はくすんで見えて目立たずに、表面には出てきませんが、実は政権を動かしているのはNO2なのです。

秀吉の欠点は、何をさておいても派手すぎることです。発想が先へ先へと展開して、足元が見えなくなることです。理想を追い求める空想家的なところです。

これを補うのが秀長の役割で、夢を現実に変えていく役回りですから、多くの官僚を抱えることになります。大和郡山100万石は豊臣政権の官僚たちの給与で消えました。

秀長ば抱えた官僚的人材は、秀吉が、初めて大名になった時に召抱えた近江の者が多く、商業感覚に優れた部下が多かったですね。

武将でもあり、城郭建築の第一人者でもあった藤堂高虎などは、秀長の部下でした。

一方、軍事面での防衛大臣は秀吉自身が兼務して、直接指揮をとります。

秀吉直属の親衛隊として加藤清正、福島正則などがいましたが、大阪城を作り、彼らを国持ち大名にしてしまってからは、名前の残るような武将は育っていません。

近衛連隊は官僚化して、地方大名の連合軍というのが秀吉軍でしたね。

現代の企業においては、営業組織が軍隊? 戦闘部隊に当たりますが、秀吉の体制は販売子会社と代理店・特約店の連合体のような組織だったと思います。

徳川、上杉、毛利などの地域密着型代理店がありますし、加藤清正、福島正則、浅野幸長、黒田長政などの、直系販売子会社もあります。

更に、島津、伊達、最上などという大名は、緩い契約の2次特約店でしょうか。

商業面で魅力の薄い地方には、秀吉の関心はありませんでした。

これではいけない…と思っていたのは秀吉や三成だけではありません。

直属の軍事組織を編成し直さなければいけない、日本国軍を編成しなくてはいけない、と考えるのは当然です。大名がそれぞれに軍隊を保有していては、いつ寝返るかわからないうえに、反乱グループを結成されたら、またしても統一が破れてしまいます。

まずは大名の軍事力を弱めるところから始めました。そのための打ち手が「刀狩り」であり、大名家の移封です。

当時の大名とその家臣団というものは、土着的互恵関係で成り立っています。

家臣の給与は土地であって、銭金や米ではありません。

もらった土地から上がった米を四公六民で農民と分かち合います。要するに、地主である武士が、地代をとる代わりに農民の生活を保障する契約です。いわば、不動産収入のようなものです。ですから土地は大切で、一所懸命に守るのです。守るためには戦争に参加しなくてはいけませんが、土地持ちの百姓たちも現在の生活レベルをも守るために、積極的に戦争に参加していました。従って武器は常備していなくてはなりません。

「イザ鎌倉」これこそが武士や地主の絶対的義務で、外敵に対しては一致団結するのです。

ただ、刀狩りは、京都・大阪の市街地を除いてそれほど大きな成果をあげませんでした。

武器を進んで供出できるほど、治安が安定していなかったのです。戦争で負けた方の専業武士たちが、働き場がなくてウロウロしています。黒沢監督の「七人の侍」のように、浪人たちが野武士集団化して、村を襲ってきますから、自衛せざるを得ません。したがって、刀、槍、弓などは手放せません。 あちこちに隠匿するか、武士の屋敷に集中管理して、常時使える体制をしていました。個人管理から共同管理に代わっただけなのです。

それに対して移封は、ダイナミックに武士と百姓の関係を断ちぎります。

兼業農家であったものは、新しい赴任地でサラリーマンになるか、それとも居残って百姓に徹するかの選択を迫られます。土地を離れたくないために、武器を捨てる百姓が多かったですね。鎌倉時代からの村落共同体をぶち壊す大改革でした。

こういう発案は誰がしたんでしょうか。

多分、秀吉にとっては裏社会の相談役である朝廷関係者だったと思います。

近衛前久を筆頭に、公家たちが各種のアイディアを提供していたはずです。

戦国物語といえば、武将たち、軍人たちばかりがヒーローとして登場しますが、京都朝廷が逼塞していたはずはありません。光秀を嗾(けしか)けて信長を殺させた公家たちが、秀吉には何も仕掛けなかったはずがないのです。ましてや無位無官、平民の子である秀吉を、藤原家の養子にして、関白にしてしまったのは近衛前久です。King−Makerとして、裏工作をしていたに違いないのです。

天皇を頂点とする公家にとって、秀吉は扱いやすく、有能な僕(しもべ)です。

経済的支援はふんだんにしてくれますし、朝廷の意向は尊重してくれます。政治の中心地も、折角の大阪城を放っておいて、聚楽第、伏見など、京都に近いところにおきます。

更には、京都を守るために万里の長城のような大防塁まで建設してくれます。

関白、太閤といった名誉さえ与えておけば、なんでもしてくれる便利な家来です。

天皇、公家と秀吉とのパイプ役は細川幽斎だったでしょうね。足利幕府の執政として礼式も心得ていますし、歌の道では天皇の師匠でもあります。朝廷のリクエストを聞いては、秀吉につないだことでしょう。まぁ、文部大臣でしょうかね。

経済産業大臣…これは堺の商人連合・会合衆です。後に博多の商人が加わります。

農林大臣…これは大阪の淀屋を筆頭にする米問屋です。相場を動かして資金を調達します。

のちに、景勝をはじめ、家康、利家、毛利輝元、宇喜多秀家の5大老の組織ができましたが、これなどは参議院みたいなもので、全く政治には参加させていませんでした。

5奉行というのは全くの官僚組織です。この官僚組織を三成が独占してしまったところから豊臣政権が崩壊の道を歩むのですが・・・あとの楽しみにしておきましょう。

裏方が経営する国家…この伝統は今日も続いています。行政改革とはこれを変えること。

【NHK大河ドラマ「天地人」をより面白く見るために!】
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