雪花の如く
第29編 見果てぬ夢
文聞亭笑一作
秀吉による全国制覇は、小田原城攻略と、奥州征伐で、ほぼ達成されました。
メデタシ、メデタシ・・・戦のない平和な世が達成されたのです。
物語がここで終わればハッピーエンドで、日吉丸の出世物語はめでたく千秋楽なのですが、世の中には終わりがありません。正月を歌った唱歌では「終わりなき世のめでたさを…」と、松竹立てて祝うのですが、英雄が、最高の場面で舞台から降りないと、とんでもないドタバタ劇が始まってしまいます。
ここからは皆さんも良くご存知の、秀吉の耄碌(もうろく)劇ですが、後世、現代に至るまで近隣諸国とのお付き合いに禍根を残す、大いなる無駄が始まります。
そのおかげで、「歴史認識が足りない」などと、余計なお世話をされてしまいます。
我々の場合は、ありがたいことに、定年という舞台の幕引きがあって、やりたくてもやれないように仕組みが出来ていますが、創業社長などには、定年がありません。
後継者の育成を誤ると、秀吉を笑えないような事件を引き起こします。
功なり名を遂げて、引退、隠居できずに…、老醜をさらす人の、なんと多いことか。
頼りなくとも、「例え野となれ山となれ」と、後継者に後事を丸投げすべきですね。
トップが替われば、参謀も引退すべきなのですが、これも、なかなか…出来ません。
総理大臣が代わっても、内閣官房は留任する、それが日本政治の悪しき伝統です。
68、利休が政治闘争に敗れた最大の原因は、三成の策謀というよりも、利休自身が、
天下人となった秀吉の心を読みきれなかったことにある。
二人の立場は、そもそも、信長の茶頭(さどう)を務めていた利休のほうが上であった。
それゆえ、秀吉が天下をつかんだ今でも、利休には胸の底で相手に対する侮り(あなどり)の気持ちがある。
秀吉が天下を取るまでに、その政策ブレーンを務めたのは、竹中半兵衛、黒田官兵衛、更に、弟の秀長と千利休でした。竹中半兵衛は中国戦線で病没します。黒田官兵衛は、関白になってから遠ざけます。戦争、外交のプロは不要になりましたから、当然でしょう。
いよいよ、内政の充実に着手しましたが、ここで、秀長・利休の地方分権構想と、三成の中央集権構想が対立します。
対立します…と書きましたが、はっきりと対立させればよかったのです。
うやむやにしたままで、三成の構想に乗ってしまったのが、秀吉の失敗でした。
当時、秀吉の幕閣にいて、刀狩推進論者だった石川数正などは、刀狩の推進(旧体制の破壊)を強く求めましたが、秀吉の征韓論に押し切られてしまったようですね。
刀狩…兵農分離を進めたら、地方大名の軍事力は半減します。上杉も徳川も、農民兵を組織していた軍団なのです。加藤清正や福島正則を関東・東北に派遣して、中央政府軍を組織させていたら、豊臣政権は盤石なものになっていたでしょう。
後に家康は、大名の領地の中に、腹心の旗本たち(譜代)を巧妙に配置し、監査機能を果たさせています。これが300年の長期政権の礎になりました。
その意味でも「唐入り」という名の、朝鮮侵略は愚策でした。
秀吉政権を車にたとえたら、アクセルが三成で、ブレーキが秀長でした。
その秀長が死んで、残ったのはサイドブレーキの利休だけです。
ブレーキが外れた豊臣車は、エンジンが強力なだけに、猛烈な勢いで、朝鮮に向けて突っ走ります。サイドブレーキのワイヤも加熱して、千切れてしまいます。
歴史では、三成が利休を陥れたことになっていますが、利休の自爆ともいえますね。
秀吉に失望して、不貞腐れていたのです。
69、お船への思いが愛とすれば、お涼への思いは恋であろう。
一人の男の中に、二人の女を同時に求める情念がある。
(勝手なものだ)
お涼を探すべきか否か、兼続は迷った。迷えば迷うほど、恋は深まっていく。
上杉家の京屋敷は千利休と隣同士でした。兼続は茶を習いに行くことにかこつけて、利休の政治哲学を学びに、千家に足しげく通います。
そうこうしている間に・・・お涼…利休の娘に、惹かれて行きます。
お船とは違う、都会的魅力に満ち溢れた女性に、心を騒がせます。
そうですねぇ、田舎の女性の持つ魅力と、都会の女性が持つ魅力は異質なものです。
地方の女性が持つ魅力は、安心安全でしょうか。太古の昔から男と女が持っていた、役割分担を心得ています。外のことは男が、内のことは女が、それぞれに分担してこなします。男にとって、家庭は安らぎの場所なのです。
それに対して、都会の女性は自由、奔放、意外性の魅力でしょうか。男女同権というか、社会の動きに敏感で、男の仕事の領域にも進出します。特に、戦国時代はその傾向が強く、豊臣家自身が、その体質を持っていました。
ファーストレディの寧々を筆頭に、前田利家の妻・おまつ、山内一豊の妻・千代など、
スーパレディたちが大活躍をした時代なのです。
(勝手なものだ)これは兼続の独白か、作者・火坂雅志の意見かわかりませんが、まさに勝手な理屈です。恋と愛、あわせて恋愛ですが、恋も、愛も理屈ではないでしょう。
鯉と鮎なら見分けがつきますが、男と女の世界に、恋と愛の差などはつけられません(笑)
兼続は、どちらかといえば恐妻家というのか、妻のお船を、目上の上司のように遇しています。お船が年上の従姉であること、直江家に婿養子に入ったことなどもその理由でしょうが、幼少期から「姉様」と呼んで慕っていた残像が、ぬぐい去れなかったのでしょう。
さらに言えば、上杉家の情報部隊「軒猿」は直江家の配下にあって、その総元締めはお船でした。家老、執政の兼続よりも、お船の方が豊富で、新鮮な情報を持っていたのです。
軒猿は、いわゆる、忍者部隊です。伊賀・甲賀の忍者とは異質ですが、やはり古代からの縄文人の血を引いた山の民です。
忍者の棟梁が妻だったら、探偵社の社長が奥さんのようなものです。浮気はバレバレ…、妻にやきもちを焼かれたら、命の保証すらありませんね。(笑)
70、戦には大義がいる。大義なき戦は破れる。それは、合戦の常識である。
兼続の師で、不敗を謳われた上杉謙信は、生涯、自らの戦に大義を掲げ続けた。
無論、天下統一が果たされるまで、秀吉にも――乱世を平定する。
という崇高な大義があった。乱れた世を治め、安定と繁栄を築こうではないかという秀吉の言葉に、兼続は共感し、その政権に協力してきた。
(略) だが、今度の戦は、誰がどう見ても義戦ではない.
上杉軍は、景勝を筆頭に朝鮮への渡航基地である名護屋に出陣します。
名護屋城…玄界灘の強風が吹きつける崖の上に、現在でも石垣などの遺構が残っていますが、まったくの寒村です。よくぞこんな所に…と思ってしまいますが、崖下の、呼子の港には日本海が大きく湾入して、天然の良港です。しかし、平地はほとんどありません。
10万人もの兵士が、どうやって駐屯していたのか、首をかしげてしまいます。
戦には大義がいる。大義なき戦は破れる。それは、合戦の常識である。
と言いますが、大義があっても勝てません。その証拠に、太平洋戦争だって、八紘一宇という大義がありました。ベトナム戦争も、イラク進攻も、大義のもとに始めた戦いです。
大義を云々するのは、勝者の論理であり、結果論です。
戦争の勝ち負けは、孫子の兵法に言うとおり道、天、地、将、法の5要素で決まります。
大義とは「道」のことで、かつてのアメリカ軍のように、広島や長崎に「人の道」に外れた原爆を落としても、勝つ時は勝つのです。
秀吉の失敗は、将…武将たちの能力と、法…鉄砲を武器にする兵の強さを過信したところでしょう。明国が弱体化していますから天の時も悪くはありませんでしたが、道に外れた侵略戦争です。朝鮮人民の「祖国防衛」の大義には勝てません。地の利などは、まったく手探り状態です。その上、信頼していた第1軍の司令官・小西行長と、第2軍の司令官・加藤清正が、現地で喧嘩を始めます。「将」も崩れました。兵隊たちは食糧難にあえいで、略奪や殺人のやり放題です。「法」…軍律などは有って無きに等しいのです。
企業間の競争も、戦争に近いところがあります。勝つためには、道、天、地、将、法の
5要素をしっかりと分析してみることですね。無理な戦いは避けるべきです。
「戦は、してはならない。外交で勝て」これが孫子の兵法の結論です。
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