雪花の如く 第33編 伏見の狸
文聞亭笑一氏作”雪花の如く”を連載します。NHK大河ドラマ「天地人」をより面白くみるために是非ご愛読下さい。
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各編と配布月日
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第37編:10月01日号
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第35編:09月17日号
第34編:09月10日号
第33編:09月03日号
第32編:08月27日号
第31編:08月20日号
番外編:08月13日号
第30編:08月06日号
第29編:07月30日号
第28編:07月23日号
第27編:07月16日号
第26編:07月09日号
第25編:07月02日号
第24編:06月25日号
第23編:06月18日号
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第21編:06月04日号
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第18編:05月14日号
第17編:05月07日号
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第15編:04月23日号
第14編:04月16日号
番外編 :04月09日号
第13編:04月01日号
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第11編:03月21日号
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第04編:01月27日号
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第02編:01月14日号
第01編:01月07日号

雪花の如く

第33編 伏見の狸

文聞亭笑一作

重石が取れた…というのでしょうか。政治と言うものは、ヒョンなきっかけから大きく回転を始めます。耄碌(もうろく)はしていても、秀吉の存在は大きかったのです。太閤の権威が一人歩きして、人々を縛り、微妙なバランスを与えるものなのですね。地下のマグマは爆発寸前にありましたが、出口が見つからなかったのです。

太閤の死は、それまでの三成中心の官僚政治に対する批判を、一気に噴出させました。

特にそのエネルギーが強かったのが、加藤清正、福島正則などの豊臣親衛隊の軍人たちです。朝鮮という異国に遠征し、塗炭の苦労をして来たのにもかかわらず、戦功を無視されるどころか、敗戦の責任を負わされたのですから、収まりません。国内にあって、秀吉に誤った報告を入れていた戦犯として、<三成憎し>の感情が爆発します。

中心となったのは加藤清正ですが、清正は福島正則や、浅野幸長のように単純な体育会系の軍人ではありません。政治力もあり、包容力もあり、政治家的資質に富んだ人格者です。

その清正が先頭に立って、反三成の改革を叫ぶのですから、秀吉子飼いの軍人たちは一斉に結束します。

清正が最も危惧したのは、「秀頼」という傀儡を使って、石田三成が天下を私する事でした。幼児を使って天下を私する、これは、尊敬する彼らの師匠・秀吉がやったことなのです。信長亡き後の清洲会議で、織田三法師を家督に立て、実質上は秀吉が天下を握ってしまったやり方を、自分たちの目で見てきています。淀君と三成が組めば、それは実にたやすいことでした。清正が尊敬する秀吉と寧々が、二人で作ってきた豊臣の家を、淀と三成が盗んでしまうことなど、断じて許せません。

83、動いている、天下がまさに音を立てて動いている。
大阪の石田三成、伏見の徳川家康は、互いに牽制しあい、主導権を巡って目に見えぬ火花を散らした。
一つ均衡が崩れれば、いつ何があってもおかしくない――そんな一触即発の空気が、両者の間に流れている。

石田三成を支持する勢力は、秀吉に取り込まれた旧・戦国大名です。前田利家、毛利輝元、上杉景勝、宇喜多秀家、佐竹義宣…、いわば外様大名です。彼らにとっては体制の変更は好みません。ようやくにして安定した現在の体制を維持し、手に入れた大きな領国の経営に専心したいのです。移封されたばかりの上杉家などは、その典型だったでしょうね。 戦うにしても、足元が固まっていません。

それに、5大老として自分たちと同列であるべきはずの家康が、いつのまにか大老会議を無視して、勝手な振る舞いをするのを苦々しく思っています。伊達や蜂須賀へ多数派工作を仕掛けるのは黙認するわけにいきません。

家康は…天下を狙います。秀頼を擁した三成の専横などに、従う気はまったくありません。 ようやくにして、目の上のこぶであった秀吉と、その権威が崩壊し、活路が見えてきたのです。千載一遇のチャンス…ここは逃せません。

幼君を抱えて、中央集権の官僚政治、通商立国の近代型国家を作ろうとする石田三成。

現体制を崩し、頼朝型の地方分権・封建体制を再構築しようとする家康。

全く国家ビジョンが違いますから、折衷案などはありえません。

自由主義経済と社会主義経済の違い、自民党と共産党ほどの差があります。

それに比べれば、現在進行中の政権争いなどはコップの中の嵐ですね。どちらも政策に大差はありません。福田・小沢会談で一旦合意しかけた大連立を組むほうが、日本にとって良かったのではないかと思うのですが、双方の提携相手が違いすぎました。公明と社民・共産では水と油です。少数勢力との提携に引っ張られて、好機を逸しましたね。

企業提携でも、似たようなことが起こります。それまでの敵同士が手を組むときに、従来の提携先や協力会社を犠牲にしなくてはならないことが発生します。このしがらみに敢えて目を瞑るか、それとも引っ張られるかで、結果は雲泥の差が出ます。改革に犠牲が出るのは当然で、むしろ、犠牲の出ないようなことは改革と呼べないのではないでしょうか。

84、それまで、伏見の徳川家康、大阪の前田利家という二大巨頭によって、かろうじて保たれていた政治的均衡が、音を立てて崩れ去ったのである。
前田利家の死で、最も苦しい立場に追い込まれたのは石田三成であった。
利家の力でどうにか抑え込まれていた三成への憎悪、反発が、これをきっかけに、一気に噴出した。

危うく武力衝突になりそうでしたが、そうなれば不利なのは家康です。伏見城は戦争用の城ではありませんし、兵力も劣ります。清正や正則は武力対決を主張しますが、家康から見れば、折角熟しかけた果実を、傷つけたくはありません。前田利家の仲裁を受け入れて、事なきを得ます。

前田との関係を壊してしまうと、収拾がつかなくなってしまうことを計算していましたね。前田利家が秀頼を前面に立てて迫ってきたら、加藤、福島、浅野などは敵方に走ってしまいます。そうならないにしても「豊臣vs徳川」の構図になれば、石田三成の思う壺にはまります。反逆者のレッテルを貼られ、袋叩きに遭います。ここは家康が前面に出ず、豊臣家臣団の争いという構図にしておかねばならないところです。

「三成vs清正」という対決構図に持ち込みます。自分は仲裁役の立場を演じます。 実に微妙な、危ういバランスの上での駆け引きなのです。

前田利家…政治能力には疑問符がつく人物ですが、調整型政治家とでも言うのでしょうか。 それなりに重みがありました。北陸選出の、どこかの派閥の元・親分みたいな役回りです。

国家ビジョンとか、政策立案とか、外交交渉、財政運営、そういう方面には全く音痴ですが、人情の機微と、組織力学のバランス感覚が抜群です。

こういう、村の長みたいなリーダが、キング・メーカを勤めるのが日本的経営なんですねぇ。政権が変わっても、こういう政治構造は変わりそうにありませんけどね。(笑)

大坂方の代表であった利家が死にます。三成のとっては、最大の保護者、後ろ盾を失ったことになります。

利家に遠慮して鉾を納めていた清正グループが、三成退治にクーデターを起こしました。 前田家に逃げ込んでいた三成を、武力で暗殺してしまおうという計画です。

三成は女装して前田家から逃れ、さらに宇喜多家に保護を求めて断られ、最後は佐竹義宣に守られて家康の伏見屋敷に逃げ込みます。「窮鳥懐に入れば猟師もこれを撃たず」と言われることわざ通りの行動でした。

家康は困りましたね。清正が三成を殺してしまうことを期待していましたから…

この奇策を立てて、家康邸まで三成を護衛したのは佐竹ですが、この行為によほど腹を立てたらしく、関が原の後、佐竹は東軍に参加したのにもかかわらず、常陸50万石から、秋田に左遷してしまいます。しかも、俸給を確定せずにです。佐竹家が秋田で30万石の俸給が確定したのは家康の死後でした。

85、「戦いには潮目がある。潮が引くときもあれば、逆に満ちるときもある。大事なのは潮目を見誤らぬことよ」
事態は兼続の読みどおりに推移した。

この成り行きを上杉景勝・兼続は知りません。あれよあれよという間に、三成の佐和山への引退が決まり、家康が大阪城に乗り込んでくることになってしまいました。

このときの家康のゴネ方が憎いですねぇ。

「徳川は大阪に屋敷がないから、行かない」と、大阪行きを拒否し、ならば…と、寧々が自分の住居である西の丸を譲ってしまったのです。

三成派、後の関が原で西軍となる大名たちは、家康の大阪入城を認めるかどうか、実に微妙なところでしたが、家康の大阪城入りを秀吉の妻・寧々が認める以上、表立った反対はできません。豊臣家の代表者は、名目上3歳の秀頼ですが、実質上は寧々ですからね。

兼続流に言えば 潮が引くとき なのです。情勢は家康に追い風が吹いていました。この時点で、政権に残る戦国経験者は家康一人になり、他は皆、第二世代です。

現代の日本社会も潮目の時期かもしれません。高度成長期を経験した経営者は皆、60歳を過ぎ、引退の時期を迎え、平成となってから社会に出た人たちがこれからの主役です。

政治家も同様に、官僚や労組に担がれた戦後・高度成長期感覚の、長老たちの時代は過ぎ去ろうとしています。「潮目を見誤らぬこと」心しておきたいですね。

加藤清正 徳川家康
黒田長政 藤堂高虎
毛利輝元 伊達政宗
前田利家 蜂須賀家政
大谷義継 福島正則
佐竹義宣 浅野長政
上杉景勝(兼続) 小早川秀秋
石田三成 宇喜多秀家

縦軸に体制派か、反体制派かというものさしをおきます。下が三成政権党、上が野党です。

横軸に三成が好きか嫌いかというものさしです。左が好き、右は嫌いです。

右上と左下に、当事者が来るのは当然ですが、5大老といわれた人たち(太字)も、入っている象限が皆、違います。家康にはっきりと対抗表明しているのは上杉主従だけで、毛利家などは当主と吉川、小早川、安国寺の4人が全部別々の象限になりますね。

浅野にしても、親父と息子は立場が違うのです。

これにもう一つの軸を加えなくてはいけません。野心という軸です。政権担当意欲です。

3次元マトリックスは面倒なので書きませんが、表に挙げたメンバで言えば、政権意欲の最も強いものは家康、伊達政宗ですね。

その気がないほうでは清正、正則などの秀吉直参や、上杉景勝でしょう。

秀頼のNo2として…となれば、三成、利家、宇喜多などが来ます。

更に情勢の変化に応じて、銘々が箱を移り変わります。確たる信念もなく、「秀頼様大切」だけを旗印にした福島正則などは、4つの箱をせわしく移り変わります。関が原戦では、豊臣つぶしの大活躍をしてしまいますからね。最高殊勲選手というか、ピエロです。

いずれにせよ、物事は最低でも二次元で見なくてはいけません。

「Goか、NGか」こんな提案書を部下が持ってきたら、叱りつけましょう。

「世の中は、そんなに単純なもんじゃねぇ」と…(笑)

82、「闇討ちのような卑怯な手立ては上杉家の家法にもとる。天は人の行いを見ている。道にそむいた行いをすれば、かえって人心は離れ、豊臣家の滅亡を早めるだけだ」
「石田殿は石田殿…。上杉は上杉のやり方で参ります。 ただ、相手はあまりに大きく、しかも老獪。伊達と徳川の縁組は、我らを挟み込む 狙いでございましょう。奸智に奸智を以って応ずるのではなく、あくまでも正々堂々と勝負を受けて立ちましょう」

大阪で、家康暗殺未遂事件というのが起きます。 秀頼に挨拶するために、伏見から出てきた家康が、刺客に狙われたのです。

家康は秀頼への挨拶をすっぽかして、伏見へ逃げ帰ります。「石田三成が犯人だ」と騒ぎ立てます。清正と三成の争いに便乗して、騒ぎを大きくしたのです。政局ですね。

この事件、本多正信の陰謀、家康の自作自演の演技である可能性が高そうです。 三成の家老・島左近が計画したようではありますが、実行する気はなかったようです。

ただ、家康はこのことを大々的に宣伝しましたから、反三成派が武装して伏見に集結します。三成の盟友である兼続さえ、噂を信じて、景勝と相談をするのですから、清正を中心にした勢力は、「三成を殺せ」との大合唱が起きます。こうなると安保騒動、大学紛争と一緒です。ムードに支配されて理性などは消し飛びますね。

石田三成は優秀な官僚でしたが、部下にした者たちが悪すぎました。5奉行というのが、行政執行機関でしたが、本来なら長官に祭り上げるべき浅野長政を無視しすぎました。

浅野長政を前面に押し立てておけば、秀吉の一族なのですから、表立った抵抗は封じ込め出来ました。先輩の顔を立てるのも大事なことです。

内閣の大臣(子分)も悪かったですねぇ。増田長盛、長束正家…典型的な経理事務員です。もう一人の福原右馬介、こちらはゴマすり名人です。

イエスマンばかり揃えると、裸の王様になります。イエスマンほど裏切りますからね。

【NHK大河ドラマ「天地人」をより面白く見るために!】
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