雪花の如く 第30編 目標不統合
文聞亭笑一氏作”雪花の如く”を連載します。NHK大河ドラマ「天地人」をより面白くみるために是非ご愛読下さい。
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各編と配布月日
第38編:10月08日号
第37編:10月01日号
第36編:09月24日号
第35編:09月17日号
第34編:09月10日号
第33編:09月03日号
第32編:08月27日号
第31編:08月20日号
番外編:08月13日号
第30編:08月06日号
第29編:07月30日号
第28編:07月23日号
第27編:07月16日号
第26編:07月09日号
第25編:07月02日号
第24編:06月25日号
第23編:06月18日号
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第19編:05月21日号
第18編:05月14日号
第17編:05月07日号
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第15編:04月23日号
第14編:04月16日号
番外編 :04月09日号
第13編:04月01日号
第12編:03月21日号
第11編:03月21日号
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第08編:02月25日号
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第06編:02月11日号
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第04編:01月27日号
第03編:01月21日号
第02編:01月14日号
第01編:01月07日号

雪花の如く

第30編 目標不統合

文聞亭笑一作

朝鮮での戦いは、太平洋戦争と良く似ています。

清正と行長が釜山に不意打ちで上陸し、一気に北上を開始します。

真珠湾攻撃と、マレー半島を南下して、シンガポールを陥落させた、初期の太平洋戦争と全く同じ奇襲作戦です。

当時の朝鮮では、ほとんど鉄砲が普及していません。更に言えば、日本の刀ほど強靭で、切れ味の鋭い武器はありません。槍にしても同様です。武器の差が、日本軍の進撃を容易にしました。

ちなみに、当時、日本から明国への密貿易の、最高の商品は日本刀だったのです。 実に高価で、明軍では、将官クラスしか持てないような貴重品でした。

野戦では大人と子供ほども戦力が違いますから、戦争というよりは虐殺に近い進撃です。 一気に首都ソウルを攻略し、王子二人を人質にしてしまうほどの大戦果を挙げます。

名護屋の、大本営に居た三成にすれば、この時点が戦略的講和の最大のチャンスでした。 三成の盟友である小西行長も、当然そのことは承知しています。

講和の条件は、釜山港の割譲、済州島の領有、東シナ海沿いに幾つかの港の割譲を求めようとしたのではないでしょうか。要するに、海の道を手に入れればそれでよし、と考えていたと思います。何度も言いますが、石田三成は商業主義の経済を前提に国家体制を考えています。したがって、土地などに興味はありません。押えるべき物は制海権です。

ところが、加藤清正を代表とする戦国大名が欲しいのは土地です。米の取れる土地と、 そこに住む住民を支配したいのです。「何万石」という経済観念しかありませんからね。

小西行長と加藤清正の喧嘩は、まさに価値観の差による喧嘩です。小西行長がまとめかけた講和も、清正たちの戦闘継続で破談になってしまいました。

そこからは…輸送ルートの伸びきった日本軍はゲリラに補給路を分断され、更には東シナ海の制海権も奪われて、苦戦に陥ります。武器弾薬もさることながら、食料の枯渇に苦しみます。さらに、寒波に襲われます。病人が続出し、戦闘での死者より、病死した者の数が多かったようですね。原因は風邪ですが同じ風邪でも、日本兵は朝鮮の菌には免疫がありませんから、スペイン風邪同様に、大被害をこうむりました。景勝、兼続の上杉軍も、50人近い病死者を出していますが、戦争で討ち死にしたものはゼロでした。

71、「上杉勢も、すぐ引き上げの準備を始めてくれ」
「この戦はなんだったのだ、治部少輔どの」
唐入りを推し進めてきた三成に対し、兼続は言わずにいられなかった。
「世継ぎの男子が生まれたから、戦をやめる。それでは、この唐入りの大義は、   いったいどこにあったのだ」
「一つの目標に向けて国が一つになる。それが大義だ」三成は断ずるように言った。

兼続のこの質問に、三成が正直に答えたとすれば

「港を確保し、中国大陸、更には南方に向けて、陸沿いに海の道を確保するのだ」だった、と思います。経済官僚である三成からすれば、貿易による富こそが、中央政府の収益源で、海を隔てた異民族の統治などは面倒でたまりません。

事実、この頃からヨーロッパの列強は中国の港に、着実に商業基地を築いてきています。

そのやり方を、三成や小西行長が知らないはずはないのです。秀吉は九州征伐の後にキリスト教禁止令を出しますが、これもヨーロッパの経済侵略に対する備えの意味が強かったのです。欧州列強はまず、キリスト教の布教による人民の掌握、次いで商業利権の確保、更に、治外法権のある港の確保、それから現地勢力の分断、そして一方の勢力の要請を受けて侵略… これこそが、ヨーロッパ勢力が植民地を確保する際の5段階戦術なのです。

堺や博多の商人は、そのやり方を見てきています。衰退している明国が、ヨーロッパ列強に蚕食される前に…と、仕掛けたのではないでしょうか。

ただし、その手前にある朝鮮を舐めすぎていました。そして、その戦略を内部に徹底しないままに、秀吉の大法螺を信じた加藤清正以下の軍人を派遣してしまった準備不足がありました。友人である兼続にさえ、そのことを説明してはいないのですから、仲の悪い清正ほかの軍人が理解するはずはありません。政権内の戦略不一致…これでは失敗します。

72、聚楽第の関白秀次と、大阪城の秀吉の間には、不穏な空気が流れ始めている。
「人は何かを得ると、次の瞬間にはそれを離すまいと、執着しだすものでございますね」  お船が低く呟いた。
「最初から譲るものが何もないと思えば、身内の争いが起きることもない。わたくし、あなた様との間に男子が出来ぬことを、不幸と思わなくなりました」

更にまずいことに、秀吉の家庭での不和が爆発してしまいます。

まずは、秀吉の心の支えであった「お袋様」が亡くなります。秀吉が最も大切にしていたものは「お袋様の喜ぶ顔」ではなかったかと思います。後世、趣味の悪い成金文化といわれた桃山文化も、秀吉にとっては母への親孝行だった様に思います。母が喜んでくれるなら、金に糸目はつけぬ浪費を繰り返しました。

その母が死んだ空白を埋めるように、秀頼が誕生します。さぁ、大変。国政を放り出しても、わが子への溺愛が始まります。悲嘆の底から、天国に舞い上がったようなものですから、半端ではありません。完全な躁鬱の状態です。この頃からの秀吉の行動、言動を見てみたら、強度の躁鬱症患者に見えます。正常な判断をしていたのかどうか…疑問です。

秀頼の誕生で、妻と妾の力関係が逆転を始めます。賢妻・寧々の下に、揺らぎないピラミッドを構築していた大阪城の大奥が、二手に割れて勢力争いを始めました。

世継の生母という立場で、淀君が我侭を始めたのです。人の世の常で、次の政権に向けて人の動きが始まります。淀君・茶々が賢い女性であったら大事にはならないのですが、気位が高く、権勢欲の強い女性でしたから、大阪城の官僚たちを取り込んで、多数派工作を始めてしまいました。正妻の寧々をいびって、追い出そうとしたのです。

更には、秀吉の後継者として関白を譲られた秀次が邪魔になります。秀次には子供がたくさん居ますから、秀頼に3代目を譲ってくれる保証はありません。それどころか、邪魔な秀頼を排除しに来るかもしれません。ならば…先手必勝と排除に掛かる筋書きを…。

秀次処分の計画犯は淀君だったでしょうね。実行犯が三成です。

三成にとっては、秀吉亡き後は、秀次でも、秀頼でも同じです。所詮は傀儡政権で、実務は自分が采配するつもりですからね。まぁ、女癖の悪い秀次よりは、赤ん坊の秀頼の方が扱いやすいと思ったことでしょう。更に、秀次の後ろには苦手な寧々がついています。

寧々の足元には清正、長政、正則…いやな犬ども、子飼の軍人どもが取り巻いています。

政権内の権力争いでもありました。家庭争議が政権を揺るがす…絶対権力者の支配する国は怖いですね。秀吉が攻めた国では、21世紀になっても同じことをしています。

国レベルほどではありませんが、「会社」…ここも大奥に注意してくださいね。

73、上杉家の伏見屋敷は、越後から大工、人足四千人を呼び寄せ、堅牢に作っただけあって台所門が倒壊したほかは、さしたる被害も出ていなかった。
雪が湿って重い越後では、柱や梁を太く頑丈にする習いがある。それが幸いした。

慶長の大地震が襲ってきました。神戸の震災同様に直下型の烈震だったようです。

華美を追って、構造計算を手抜きした(?)伏見城はもろくも全壊してしまいます。

こういう非常時になると、謹慎中だった現場たたき上げの清正の出番です。

危機管理は戦場そのものですから、官僚の手に負えるものではありません。縦型の、指揮命令系統を一元化した組織でないと対応できません。ですから、神戸でも、上越でも、 警察、消防、自衛隊が活躍する場面です。

現代の会社でも、自然災害に対しては防災班が組織され、避難訓練などを定期的に行っていますが、全く無意味ですね。ママゴトです。誰も本気にやっていませんし、第一、防災責任者が総務などの事務官僚です。「やれといわれたからやる」訓練など、何度繰り返しても無駄です。やるんなら…社長を頭に、社長が不適任なら然るべきライン長を頭に、臨場感を持ってやらないとダメです。地震ばかりではありませんよ。いつ何時、汚い原爆を積んだミサイルが飛んでくるか分かりませんからね。

この頃から秀吉の行動、言動がおかしくなります。「人たらしの名人」と呼ばれた秀吉が、人に会わなくなってしまいます。政治への興味を失ったのでしょうね。朝鮮での挫折が、ただでさえ躁鬱症の出てきた秀吉の健康を蝕みます。秀頼を可愛がるときだけが「躁」で政治課題を扱うときは「鬱」、晩年の「秀頼を頼む、頼む」などと頼みまわるのは、まさしく鬱病患者そのものです。

ああいう死に方はしたくないですねぇ。さて…どうなりますことやら。

【NHK大河ドラマ「天地人」をより面白く見るために!】
時代に生きる人物・世相を現代にあわせて鋭く分析した時代小説、ここに登場。
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