いざ鎌倉 第32回 伊豆の頼家

作 文聞亭笑一

どうやら私が先を急ぎすぎるようで、前号で書いた部分の大半は次週の物語になるようです。

頼家を引退に追い込んでいく流れは・・・北条と大江広元など政府実務機関の面々が既定事実を作り上げてしまっていますから、今更変更はできません。

頼家が昏睡状態にあった間に、実朝将軍の世に代わっていたのです。

頼家が動けば動くほど、頼家の子供たちの運命が悲劇へと向かいます。

前回の最後の方に出てきた頼家の次男、善哉・・・後の公曉です。

八幡宮の階段脇の、銀杏の陰に潜み実朝を襲撃した、あの公曉です。

自らの行為で源氏の血脈を滅亡させてしまいました。

仁田忠常の死

先週の後半で、頼家から「北条討伐」の命を受け、悩んだ挙句に仁田忠常が自殺した・・・と言う筋書きが放映されました。

吾妻鏡にも、愚管抄にも、過去の小説にもない三谷オリジナル推理ですね。新説です。

さもありなん・・・と思われるのは、仁田忠常は愚直なほどの頼朝家の忠臣で、頼朝の旗揚げ以来の頼朝側近です。

SPとして常に頼朝の側にいました。

当時SPなどという言葉はありません。

「寝所番」と呼ばれていましたね。

北条義時、梶原景季(景時の息子)、加藤景廉などが同僚でした。

頼朝子飼いの側近・・・の一人です。

頼朝亡き後は、その誠実さ、愚直さを買われて頼家の側近、SPとして仕えます。

頼家が重病となった理由の一つに挙げられる富士山の祟り・・・頼家の命で行った富士の人穴探検をやったのも仁田忠常です。

当時からすれば「神をも恐れぬ蛮行」とも言うべき神域を汚す行為でした。

吾妻鏡によれば頼家が比企能員に「北条を討て」と命じた時、その情報をいち早く政子の密告したのは仁田忠常だと言います。

忠常にとっては「頼朝家」が主君であり、頼朝家の内部争いにはどちらの味方にもなれないのです。

現代サラリーマンの「社命をとるか、正義に殉ずるか」の自殺に似ています。

三谷脚本はそれを言いたかったのかもしれませんね。

吾妻鏡によれば、仁田は比企討伐の褒美をもらいに北条館に出向きます。

帰りが遅いのを心配した兄弟が武装して迎えに出たのを「謀叛だ」と騒がれて、同僚の加藤景廉に討たれたとあります。

また、愚管抄によれば、頼家の扱いを巡って北条義時と口論になり、斬られた・・・ともあります。

いずれにせよ、仁田を斬ったとされるのは昔の頼朝SP仲間です。創業以来の仲間です。

狡(こう)兎(と)死して走狗(そうく)煮られる(史記)

  (敵がいなくなると、功臣が排除される)

あまり面白い話ではありませんが・・・今でもよくある話です。

ついでに、仁田を斬ったとされる加藤景廉にも触れておきます。

加藤の家は御家人として鎌倉時代、室町時代を泳ぎ切り、地頭職の領地であった尾張、美濃地方で生き延びます。

尾張の加藤家の末裔は秀吉に仕官した賤ヶ岳7本槍の一人、加藤光康です。

後に会津40万石の大大名となります。

美濃・岩村に土着して、遠山家を名乗った子孫は、本家筋は大名として明治まで残り、分家筋は旗本となり、江戸町奉行を出したりします。

そう・・・遠山の金さん、「この桜吹雪がなぁ、全部お見通しでぇ」のお奉行様です。

和歌の道

実朝に和歌の道を指南したのは誰でしょうか? 

武張った北条一党が導いたとは思えませんから、もしかすると乳母であった阿波の局の夫・阿野全成かもしれません。

全成は成人するまで醍醐寺で修行していましたから、ある程度は歌の道に知り合いがあったかもしれません。

ともかく実朝の「歌の道」へののめり込み方は異常なほどで、それが京文化へのあこがれ尊皇指向にも繋がります。

実朝政権の末期、実朝自身は本気で「大政奉還」を考え、天皇の皇子を鎌倉殿として迎える案を後鳥羽上皇に提案しています。

後鳥羽もこれには大乗り気で、皇子の鎌倉下向を具体的に検討していました。

それはともかく、実朝の歌は小倉百人一首の一つに挙げられます。

○93 鎌倉右大臣・・・実朝のことです

世の中は 常にもがもな渚漕ぐ 海士の小舟の綱でかなしも

ついでですから、百人一首で今回のドラマに登場しそうな方々の歌も乗せておきます。

○95 慈円大僧正・・・愚管抄の作者です。 先週、後鳥羽上皇の取り巻きで登場していました。

おほけなく 浮き世の民におほふかな わがたつ杣に墨染めの袖

○97 藤原定家

   来ぬ人を まつほの浦の夕凪に 焼くや藻塩の身もこがれつつ

○99 後鳥羽院

人もをし 人も恨めし味気なく 世を思う故に物思う身は

頼家の最後

伊豆に流されて・・・頼家は徐々に健康を取り戻します。

元々がストレス性の病気だと思われますから、政務から離れ、あきらめの境地に達すれば自然治癒する性質の病気でしょうから伊豆の自然と、政治と無縁の生活は元気を回復させます。

まだまだ20代の若者です。

元気が回復すると・・・政権復帰への意欲も回復してきます。

が、幽囚の身では何もできません。

仲間が欲しくなります。

一方で、潰されてしまった比企一族やその他の残党が「頼家を担いで・・・」という思いに希望が出てきました。

頼朝が伊豆で立ち上がって平氏を倒したように、頼家を担いで伊豆で立ち上がり、鎌倉を倒す夢を膨らませます。

「比企の残党を中心に不穏な分子が修善寺に集まっている」

こんな情報が流れます。

伊豆は北条の地元です。

鎌倉からの指令が流れたら村人たち全員が監視役、情報要員に化します。

あること、ないこと・・・膨大な「頼家謀叛」の兆候情報が集まります。

こうなれば・・・問答無用、刺客が送り込まれます。

頼家は入浴中を襲われて討たれた・・・となっていますが、今回はどう描きますかね?

三谷脚本は人が死ぬ場面をリアルに描きすぎではないか・・・と、若干、不安にも思います。

あんな場面を見て「人を殺してみたかった」とか、「死刑になりたかった」などという、狂った若者が出始めているのではないだろうか? などと余計な心配をします。

今年の大河ドラマは、毎回誰かが死ぬ、消される事が続きます。

はてさて、今週は頼家だけか、それとも京で事件が起きるのか? 見てのお楽しみですね。