商人竜馬(第30号)

文聞亭笑一

この号のタイトルにした「商人竜馬」と同名の小説があります。津本陽の近刊で、彼自身の書いた長編小説「龍馬」の縮刷版みたいなものですが、竜馬を志士、武士としてではなく商人、ビジネスマンと捉えて、書き下ろした作品です。

実際、この時期の竜馬は、政治家というよりは政商というイメージが強い行動をしていますから、面白い見方だと思いますね。この時期以降、京都や大阪では、坂本竜馬という実名よりも、才谷梅太郎という変名のほうが討幕派の中では通称になり、有名になっていきます。乙女姉さんへの手紙でも、才谷梅太郎と名乗っていますしね。

才谷・・・土佐の坂本家の本家で、竜馬は才谷屋という豪商の分家に生まれたのです。だから、元々はこちらの名前のほうが正しいのです。祖父の時代に、「坂本」という郷士の株を買って、侍としての便宜上で坂本を名乗っただけなのです。

したがって、「坂本家は明智左馬介の末裔である。近江坂本城にちなんで坂本を名乗った。その証拠に家紋は桔梗である」というのは、後世の講談師の創作です。第一、明智左馬介は明智光秀の入り婿です。元々は備前の児島高徳の末裔で、三宅が本名でした。

商人の文化的風土で育った竜馬は、その意味では長宗我部侍の末裔である岩崎弥太郎などより、ずっと商才に長けていました。

133、「君の言う薩長連合のことだが、俺は薩摩が信じられぬ。 特に、西郷という男が信じられぬ。と申すより瞭然とあの男が嫌いだな」
無理はなかった。従来、薩摩の藩方針は現実によって変転し、そのため昨日の友藩を捨て、敵に回った。長州藩がその最大の被害者であるし、桂個人にしても、京、但馬における命がけの逃亡潜伏も、みんな薩摩とその代表者の西郷の裏切りから出ている。

薩長連合の秘策は、大宰府の三条実実の縁を通じて長州の桂小五郎に伝わります。

桂にしてみれば、眉唾(まゆつば)物の情報ではありますが、三条からの紹介と、坂本竜馬という提案者に面識があるので、会ってみる気になったのでしょう。

竜馬と桂は、江戸での剣術修行時代にライバルとして何度か竹刀を合わせています。

竜馬は桶町千葉道場の塾頭でした。桂は斉藤弥九郎道場の塾頭でした。まぁ、巨人と阪神のキャプテン同士が再会したようなものです。

桂の<命がけの逃亡潜伏>は、それだけでも一編の小説になります。京の芸伎・幾松との恋物語、女装しての逃亡、乞食姿で鴨川の橋の下に隠れ、丹波・但馬では村娘を騙して夫婦を装ってみたりと、昔の人気テレビ「逃亡者」そのものです。長州の攘夷派の代表として顔が売れているだけに、密告されては逃げ、2ヶ月とは腰が落ち着かない逃避行でした。何せ、長州は「反乱軍」ですから、その大物として桂には全国指名手配が掛かっていました。長州に帰ろうにも、長州自身が降伏・謹慎していますから帰れませんでした。

その中を逃げ切って、長州まで辿りついたのが不思議なくらいです。

とはいえ、竜馬の提案は耳寄りな話です。薩摩が幕府方について攻めてきたら、長州はひとたまりもありません。「藁をもつかむ」そんな心境でした。

134、桂はすでにこの秘策を藩主親子の耳に入れている。しかも、長州再征のために将軍が江戸を発進し、駿府まで来ているというこんにち、長州藩としては藩を滅亡から救う唯一の道は、竜馬の提案する薩長連合以外になかった。

薩摩へ、西郷に下関で会談をすべく交渉に出かけたのは土佐浪士の中岡慎太郎です。

竜馬と示し合わせて・・・ではないところが奇妙ですが、実際、竜馬と中岡の間で西郷呼び出しの打ち合わせはされていません。中岡も竜馬同様に薩長連合を推進しようとして、京都から薩摩に直行していました。

そこらあたりですね。西郷が疑念を抱き始めたのです。

竜馬に説得されて、下関で桂に会う予定をしていた西郷でしたが、もう一人、別人物が説得に来ました。同じ土佐出身の浪士ですが、竜馬とは説得の筋書きが違います。それに、竜馬は薩摩寄りの立場であるのに、中岡は長州寄りの立場で話します。それもそのはずで、中岡慎太郎は長州奇兵隊の参謀という肩書きで、長州的理論派の話の組み立てです。

竜馬や西郷のアナログに対して、デジタルな論理の組み立てに違和感を覚えます。

ともかく、西郷は竜馬との約束に従って佐賀関(大分)まで来ましたが、「なぜ、薩摩の方から連合を呼びかけねばならぬのか?」という面子に囚われだしました。連合を請うのは、幕府に攻められて窮地に陥っている長州ではないか。薩摩は長州に頭を下げる筋合いはない、と下関会談を敬遠してしまいます。

西郷はそのままそのまま京都へ去ります。

一方の桂も難しい立場です。藩主以下、重役は薩長連合の成約に同意させましたが、奇兵隊などの過激派に知られたら桂自身の命もありません。薄氷を踏む、綱渡りの交渉なのです。毎日のように竜馬の宿舎を訪ね「西郷はまだか」の繰り返しです。

135、美人がいる。仲人の竜馬と中岡が、頼まれもしないのに長州という男に縁談を持って行き、半信半疑ながら見合いの席で待っていると、相手の美人はついに来なかった。男の面目のこれほど下がることはないだろう。もともと美人のほうは、こちらをなんとも思っていなかったのである。

西郷の違約・・・これを男女の見合いの席になぞらえた司馬遼太郎の比喩は素晴らしいですね。まさにそのとおりで、桂にとって、長州にとって、薩摩は恋人のようなものです。

美人は美人でも飛び切りの美人で、しかも、一度は振られた相手です。その美人が心変わりして、結婚しても良いというのですから天にも上るほどの嬉しさです。

筆者は残念ながら見合いというものをしたことがありませんが、見ず知らずの相手との見合いなら、どちらかが断ることもあるでしょうが、かつての恋人が縒りを戻してくれるという見合いですから、男にしては恋焦がれた心境でしょうね。

それが・・・あっさり振られます。一度ならず二度までも・・・怒り心頭に発したでしょうね。

「このアマ! なめやがって!」と、こういう悪口雑言を吐いたかどうかは知りませんが、怒り狂って、仲人の竜馬や慎太郎をたたっ斬る勢いだったでしょうね。

事実、中岡は「切腹してお詫びする」と申し出ています。

136、「アメリカ合衆国では、南北戦争が済んだ。戦争中に大量に作りすぎた鉄砲の始末に困り、武器商人が上海にやってきて、そういう鉄砲をどんどん港の倉庫に積み上げている。それをごっそり長州藩が買い上げて幕府と対抗すれば、火縄銃しか持たぬ幕府軍なんぞはいっぺんに吹っ飛ぶさ」

この危機を救ったのが、竜馬の「とんでもない」提案でした。

竜馬とて、西郷の心変わりには腹を立てていましたが、一方で「西郷に貸しを作った」とも考えていました。男が約束を破ったのだから、相応の要求は呑むに違いないと計算したのです。当時、契約という概念はありませんが「武士に二言はない」というのは社会倫理として確立していたのです。その意味では現代の契約書よりも重みがあって、契約違反は切腹するしかなかったのです。

「上海には新鋭の銃器が売れ残っている」長崎でグラバーなどの英人商人から、こういう情報をつかんでいた竜馬は、この鉄砲商売の提案をします。

しかし、弱体化したとはいえ海外貿易は、幕府の許可がないとできませんから、朝廷の賊軍となった長州は、武器を買うことが出来ません。それを、竜馬が仲介しようというのです。薩摩藩の名義で武器を仕入れ、それを長州に売り渡そうという仲介貿易です。

勿論、この話は薩摩の同意がないとできませんが、竜馬は薩摩藩家老の小松帯刀を説得して認めさせてしまいます。西郷としても竜馬には借りがありますから反対はしません。

竜馬の貿易会社である亀山社中の最初の大取引は「薩摩名義で大量に銃を仕入れ、長州に売り渡す」という密貿易、違法取引でした。

ところが、竜馬の亀山社中には金がありません。金は長州が先払いです。

「桂さんの心きいたるものを二人ばかり取引に立ち合わせたらどうじゃろ」

この提案で、交渉役として長崎に派遣されたのが井上門多と伊藤俊輔です。

井上は後の外務大臣・井上馨。伊藤は初代総理大臣になった伊藤博文です。

彼らは、すでに英国に密航していて、国際取引の知識がありました。この取引においては最適の配役でしたね。英語も片言程度は話せます。

長崎に残してきた饅頭屋の長次郎と井上、伊藤のコンビで大量の鉄砲が長州に渡ります。

それは最新式のライフルで、火縄銃との比較にはならない高性能機です。