饅頭屋の大手柄(第32号)

文聞亭笑一

長崎での、長州藩の武器買い付けに大活躍したのが饅頭屋こと、近藤長次郎です。この頃はすでに上杉宋次郎と名乗って、亀山社中を切り盛りしていました。竜馬の仲間の中では、とびきり頭も良く、商売上手ですから長州藩の武器買い付けには最適任者です。

長次郎は井上、伊藤を連れて英国商人グラバーの屋敷に乗り込みます。現存するグラバー邸に乗り込んだのです。このあたりの商談展開を、司馬遼の小説で辿ってみます。

門多と俊輔は、饅頭屋の巧みな口添えを得つつ、まず小銃の話からはじめた。

「一挺、5両です」とグラバーが言う。饅頭屋は「ノー・ノー」と叫び

「そんな安いのはダメだ。そいつはゲーベル銃だろう。それでは幕府に勝てぬ」

井上、伊藤は「安い!」と大喜びですが、長次郎はゲーベル銃が、すでに旧式であることを知っています。ゲーベル銃というのは火縄銃と同様で、点火装置が火縄からライターのヤスリ式に代わっただけのものです。

当時すでに世界の主流はミニエー銃という薬莢(やっきょう)付弾丸式のライフルだったのです。

それを知らない幕府は、フランスからゲーベルを大量に売りつけられていましたね。

「ミニエー銃はあるか。いくらだ」「18両だ、上海にある」「まけろ」・・・

このあたりが饅頭屋長次郎の得意なところです。これを4300丁買い込んで、さらにゲーベルも3000丁買うことにしました。合計7300丁です。

ダメだといっていたゲーベル銃を買い込むのを不審がる伊藤や井上に

「ゲーベルは前隊が一斉射撃をするのに使い、崩れた敵をミニエーで連続狙撃するのだ」と、西洋式兵学まで教えます。高島秋帆、佐久間象山に教わった用兵術を教えます。

これこそが商売ですねぇ。物を売るだけでなく、使い方を教えてお客様の利益に貢献するのが、営業の腕というものです。「売りっぱなし」では商売は長続きしません。

軍艦もユニオン号という木造の中古船を3万9千両で買うことにしました。

137、京にある竜馬は、この商談の進行を亀山社中からの報告書でよく承知していた。
<便利な世になったものだ>と、竜馬はひしひしと機械文明のありがたさが分かった。
手紙だけではなく、人の往来も早い。こう物事のテンポが速くなると
<時勢の煮詰まるのも早いかもしれぬ>と、竜馬は思った。

ここで竜馬が感心しているのは郵便、物流のスピードが飛躍的に速くなったことです。

それでも、長崎と京都の間は8日間掛かっているのですが、江戸中期では15日近く掛かっていたのですから「飛躍的」です。それをもたらした機械文明とは蒸気船でした。

郵船事業・・・後に岩崎弥太郎が手がけ、大をなしたのがこのビジネスです。

現代でも一時期、情報革命だと大騒ぎしましたが、情報は、あれば良いというものではありません。情報を使いこなして、新たな価値を創造してこそ情報に意義があります。

そういう意味では現代が情報化社会といえるかどうか、はなはだ疑問です。

インタネットにつなげば、情報は有り余るほど溢れています。一つのキーワードを入力するだけで、読みきれないほどの情報に襲われて、身動きできなくなります。龍馬モノの本だけで、いったい何冊あるのか、とても読みきれるものではありません。

司馬遼太郎の一冊を軸にして、関連資料を読み漁りつつ、愚直に追いかけているのが文聞亭方式です。一つの筋(仮説)がしっかりしていれば、周辺情報を組み合わせて理解するのは比較的容易になりますからね。こういう作業の中から新しい小説が生まれてくれば、それこそ「創造」なのですが・・・、なかなか・・・

138、「兵糧米の件なら一切手配りは終えている」と桂は言う。
竜馬は喜んだ。京都に駐在する薩摩軍に長州が米を提供しろといっておいたのだ。
「手品を使われているようだ。米だとか銃器、軍艦が手品の小道具のように目の前を飛び交ううちに薩摩への感情が和らいでしまった」と桂が言う。

京都の薩摩屋敷で、竜馬は猛烈に情報を発信しています。手紙という形で情報のやり取りをするのですが、いずれも密書ですから読んだら焼き捨てるのが基本で、ほとんど残っていないのが残念です。

竜馬が桂に向けて依頼した手紙を電報文的に要約すれば「米送れ、頼む」だったでしょうね。この年、薩摩は凶作で京都駐在の兵士に送る米がありませんでした。薩摩兵は米ではなく芋を食ってしのいでいたのです。口さがない京雀は、薩摩兵士のことを「芋侍」などと笑っていましたが、実際にそうだったのです。

「武器調達で世話になった薩摩に、兵糧を送って恩を返しておけ」これが竜馬から桂へのアドバイスでした。米にしろ、武器にしろ、今の価格にして数十億、数百億のカネが竜馬の指図で長州と薩摩の間を飛び交います。確かに・・・桂小五郎の言うとおり、手品ですねぇ。

139、ユニオン号、この船の操縦、運営、修理は一切亀山社中がやる。
船の所有者は長州で、名義は薩摩、運用は土佐である。一隻の船の上で薩長土が重なり合っているのだ。

コンピュータのアウトソーシングというのがまさに、現代のユニオン号ですね。

機械本体はハードメーカのものをレンタルし、ソフトは自分たちの資産として作り上げますが、運用は、また専門会社に委託するというのがシステムアウトソーシングです。

このビジネスモデルを100年以上前にやってしまったのが、竜馬たちの亀山社中でした。

船の所有者の長州は、優先的に船の使い道を指示できます。物資輸送、兵員輸送、海上戦闘など、必要なときには思い通りに船を使います。

薩摩は名義人として、船が自分の利益にならない使い方をすれば拒否権を発動できます。

なにせ、マストに掲げているのは<丸に十字>の薩摩・島津家の紋所ですからね。薩摩に不都合な運用には許可を出さなければ良いのです。いわば支配権を持ちます。

亀山社中からすれば、自分らが自由に使える船が一艘手にはいったのと同じことです。

長州の用事の合間に、亀山社中の商売が出来ます。長州の仕事のついでに、薩長以外の物資を輸送し、船賃を稼げます。さらには、運用で儲けた金を使って、自前の蒸気船を買い込み、さらに実航海で優秀な船員を育てていきます。竜馬の夢はユニオン号を足がかりに、世界に雄飛する海運会社を作っていくことでした。

後に、この夢を継いだのが岩崎弥太郎で、薩摩と長州は明治政府に一体化し、スポンサーに納まります。弥太郎は政府の資産を使って、せっせと金儲けをします。

国営事業の不効率が指摘され、選挙のたびに争点になりますが、単に民間への売渡では疑惑の元になります。竜馬のビジネスモデルなどを参考にして所有と運用を分割した発想をしたらどうでしょうか。ホテル、宿舎などは利用者がいなければ無駄を生み出すハコですからね。運用は「餅は餅屋に」ですよね。国の作ったハコが利用者もなく泣いています。

140、「三人死ぬか」西郷は顔を上げて笑い出した。
「坂本、桂、それにオイドンが死にもせば、もはや日本は常夜(とこよ)の闇におちいりもそう。
おいもおまんさぁに殺されんよう精一杯腹を引き締めて国許の説得にあたりもす」

竜馬は東奔西走します。宮沢賢治ではありませんが

西に鉄砲が欲しいという藩があれば、行ってわしが買うちゃるきに、と言い

東に米が食いたいという藩があれば、行ってわしが都合つけちゃる、と言い

周旋(しゅうせん)斡旋(あっせん)で、下関と京都の間を船で飛び歩きます。幕府が第2次長州征伐の軍を西に向けて集結しているさなかですから、実に危険な行動で、さらには竜馬らしいマメさで伏見の寺田屋にも顔を出します。寺田屋に寄るのはお登勢やお龍に逢いたいばかりではありません。ここが、土佐への情報(手紙)の中継基地だからです。寺田屋は竜馬の故郷へつながる、唯一のオアシスなのです。

それはさておき、

薩長手組みの準備は整いました。今度は桂が京都に出てきます。桂は長州征伐に向かう敵の目をかいくぐっての上洛ですから、危険極まりない旅です。それだけに、交渉結果が下関のときと同様になれば死ぬしかありません。そのときは桂だけを死なせるわけにはいかんと、竜馬も西郷へ決死の脅迫をかけます。

西郷の悩みは国許、つまり、島津久光の態度が煮え切らないからなのです。

土佐の山内容堂といい、島津久光といい、毛利敬親といい、部下たちの動きから超越して、自分の価値観の世界で、独善的夢想にふけっている人たちです。容堂は再建した幕府での大老を夢み、島津と毛利は徳川に取って代わる将軍を夢みていますからね。

竜馬、西郷、桂とは住んでいる世界が違います。