よばあたれ(第31号)

文聞亭笑一

NHKの龍馬伝が、少々脱線を始めました。用意した原稿では1〜2週間分ほど先行してしまいそうです。少し、物語の展開を小休止して、竜馬の足跡をおさらいしてみましょう。

龍馬の性格を作ったもの

南国土佐…この土地柄が第一でしょうね。南に太平洋を抱えて東西に長く伸びた海岸線は、この国に住む人の、ものの考え方に大きく影響したと思います。

「海の向こうに何があるのだろう」と考えるのは、人間だれしも共通の不思議で、世界地図の知識を得るまでは憧れの的です。もちろん「山の向こうに何があるのだろう」という不思議さにも共通するものがありますが、山は動きませんし、越えようと思えば越えられます。情報も入ってきます。

が、海は常に表情を変えます。とくに土佐の沖は黒潮が近くを流れますから、漂流の危険が高いですよね。風帆船が主力の時代においては、海運の難しさ、海の道の危険さは日本近海でも屈指の難所だったと思います。

龍馬は、子供のころから海が好きでした。浦戸湾に行っては海水浴を楽しんでいます。

港には母(継母)の実家である海運業者の家があって、そこを基地にしては海で遊んでいました。余談ですが、この親戚には年の離れた女の子がいて、幼心に<大きくなったら結婚しよう>などと約束したりもしています。龍馬が中学生、相手は小学校の一年生ころの約束ですから、可愛いものです。初恋以前のままごとでしょうね。

海へのあこがれ、船へのあこがれ…子供心にしっかりと根付いたこの思いは、竜馬の生涯を通して常に熱い息を吐いていたと思います。渡米経験のある勝海舟や、漂流から帰還した中浜万次郎との出会いなどは、まさに決定的瞬間ではなかったかと思います。

海の大きさ、変化の激しさに比べれば、人間の考えること、やったりすることなど「ちいせぇ、ちいせぇ」という大局感が、自然に身に着いたと思われます。

子供は、出来るだけ大自然の中で育てたいですねぇ。前総理の言う<子供は社会が育てる>という理念には、その目的において賛成ですが、金をばらまくことではありませんねぇ。

夏休み、冬休み、春休みにノビノビと自然を楽しめる環境を整備することですよ。

戦争中にあった「疎開」の現代版などができる環境を整備することですよ。

次には劣等感ではなかろうかと思います。

「泣き虫のよばあたれ」これが龍馬の幼少のころの代名詞でした。<よばあたれ>とは小学生になっても寝小便が治らない子で、病名を付ければ夜尿症ですね。こればっかりは…

文聞亭も同類でしたから子供心にも恥ずかしいものです。やった朝は、証拠が外に出されて展示されてしまいますからねぇ。言い訳すらできません(笑)言い訳ができなければ、からかわれたら泣くしかありませんからねぇ。寝小便と泣き虫は大概においてセットです。

もうひとつの劣等感が体毛でした。龍馬は実に毛深くて、体中に体毛が生え、とくに背中の体毛は「馬のタテガミじゃのう」などと父の八平からからかわれるほどでした。さらには縮れ毛で髷(まげ)を結っても様になりません。すぐに崩れてしまいます。

学問の塾に通えば、覚えが悪くて破門になります。劣等生でしたね。

こういう劣等感を持ったまま、それを引きずったまま大人になったら、大仕事などすることはできませんが、竜馬にとっての幸運は剣術の世界で一番になれたことでした。人間はひとつでも自信のあることが発見できると、大きく変わります。劣等感を引きずりながらも、自分の可能性に期待を持ち出します。

劣等感は、それに優れた人を発見する梃子(てこ)になります。その人の力を借りて、自分のやりたいことを実現しようという組織感性を育てます。組織感性、平たく言えば、他人を利用する術を覚えるのです。

龍馬の功績

やや先走りますが、竜馬の功績と言われているものは2つですね。

一つは現在NHK-TVで進行中の「薩長連合」です。水と油の様に反発しあっていた反幕の雄藩二つを連合させ、倒幕に向けて勢いを作ったことです。

この時の龍馬の活躍を、師匠である勝海舟は

「ことをなすは人にあり、人を動かすは勢いにあり、勢いを作るもまた人にあり」

とたたえています。

二つ目は、船中八策という新政府への道筋を提案したことです。大政奉還から政権交代に向けてのシナリオですが、これが明治政府の五箇条のご誓文になります。新政府の基本方針を作ったのは…龍馬なのです。

読み書きソロバンもロクにできず、塾(小学校程度)を追い出された龍馬に、なぜこんな大仕事ができたのか? 剣術だけの男にできる仕事ではありません。

船中八策などはなかなかの名文で、竜馬の書いた多くの手紙とは文章の質が違います。

ここに龍馬の組織力の高さが現れています。船中八策を書いたのは海援隊の長岡謙吉で、長岡の旧名は今井宗純といい、土佐の医者の息子です。龍馬が取りとめもなく話すアイディアを長岡が要点を選び出し、簡潔な文章にまとめて出来上がったのが船中八策なのです。

こういうところも劣等感の裏返しで「餅は餅屋に」で徹底しています。饅頭屋の長次郎を抜擢して商務をまかせたのも、その後、海援隊の財務を岩崎弥太郎に丸投げして任せたのも、龍馬はソロバンが苦手だからなのです。

<できない>ということは、決して悪いことではありません。できないから「任せる」という組織運営ができます。現代人の欠点の一つは、皆が高学歴になったがために<できない>と言えなくなってしまったことかもしれません。無理をして知ったかぶりをしなくてはならなくなり、その演技に疲れて神経を、精神を痛めます。

「わしにゃわからんけぇのぉ、頼むぜよ」と、竜馬のように行きたいものです。