万札の顔 第37回 戦争の時代へ

文聞亭笑一

先週の放送では明治27年から28年の日清戦争について触れていました。

朝鮮の李王朝との外交上のトラブルが、朝鮮の宗主国である中国・清との騒乱に発展していきました。

維新の直後に西郷隆盛や江藤新平、板垣退助などが「征韓論」を唱えました。

なぜ「朝鮮討つべし」となったかについて説明がありませんでしたが、原因は日本の政治変革を知らせる明治天皇からの国書に対して、李王朝が無礼な対応をしたことにあります。

李王朝は中国古来の序列を重視し、日本を自分たちより格下と意識していました。

日本は中国に直接挨拶ができぬから仲介してやっている・・・と云う意識です。

つまり、中国が親とすれば、日韓はその子供で、朝鮮が兄で日本は弟・・・と云った感覚でしょうか。

その日本が「天皇」などという生意気な尊称を使うことにカチンときました。

朝鮮・李王朝は「古来、『皇』の文字は中国皇帝だけが使える文字だ」とあがめていたのです。

それにもかかわらず、格下と考えていた日本の王が「皇」の文字を使い、あまつさえ「天」までつけるとは何事か!

・・・と、返書さえ出さないという外交上の無礼を働いていました。

だから・・・「やっちまえ!」「助さん、格さん、懲らしめてあげなさい」と言うのが「征韓論」

しかし、この時は戊辰戦争で消耗していて軍事力も財政も戦争どころではありませんでしたし、日本国内すら安定せず、西南戦争のような内戦になってしまいました。

日清戦争と三国干渉

日清戦争は朝鮮国内の内乱・東学党の乱を契機として、日本軍が「邦人保護」の名目で朝鮮半島に進出します。

これに驚いた李王朝は宗主国・清に援軍を求めます。

日清軍がソウル周辺での睨みあいから戦争に発展し、海軍力に勝る日本が黄海、渤海湾、日本海の制海権を確立したことで清国は朝鮮への補給ができなくなり、終戦交渉に入りました。

渋沢栄一の回顧録には

「開戦当初の予想では戦費調達のために金詰まりが甚だしく、どの商売も不景気になるというので皆、低姿勢をとった(消極的になった)。

ところが戦争が進むと、案外のように、不景気どころか、むしろ好景気であった。」

とあります。戦争が短期間で終わり、戦争特需で沸いた産業もあったことからでしょう。

これが自信と言うか、慢心に繋がり、その後の軍部主導政治に勢いをつけました。

終戦協定「下関条約」で獲得した遼東半島にイチャモンをつけ、清国に返還させたのがロシア、ドイツ、フランスの三国です。

日本に返還させておいて、それを恩に着せて租借地にし、実質は自国の植民地支配にするのですから実に汚い、火事場泥棒です。

国民の憤懣が・・・その後の日露戦争〔ロシア〕、第一次世界大戦(ドイツ)への報復と言った感情にもつながりました。

日露戦争〔明治37年、1904年〕

ロシアの南下政策は、当初は地中海に向けてトルコを圧迫する形で進みましたが、ヨーロッパ列強の妨害を受けて頓挫しました。

ならば…と、次に狙ったのがアジアです。弱体化している清国や朝鮮を目標に不凍港を目指して南下します。

まずは満州への鉄道敷設権を獲得して、ヨーロッパからシベリアへ、そして旅順港へと勢力を拡大します。

さらに、ウラジオストックと旅順の間の制海権を確保しようと狙います。太平洋への航路確保も狙いの一つです。

我々が見慣れている日本地図は左側ですが、南下政策を指向するロシアが見ると右側になります。

現在の韓国、朝鮮、中国から見ても「日本とは邪魔な国」ですねぇ。

太平洋への出口をふさぎ、海洋進出の邪魔をしています。

そういう感情が「歴史問題」とか、「歴史認識」などと言葉を変えて反日感情に繋がっているようにも思います。

この戦争は、結果的に日本が勝つのですが、勝因の最大の要素は日英同盟の締結でした。

なかでも「日本が二か国以上と戦う場合、英国は参戦する義務がある」という条項が効力を発揮します。

日露戦争は言葉通り日本とロシアが対決した戦争ですが、戦場は中国(清)であり、朝鮮です。清は満州への鉄道敷設などでロシアと協力関係にあり、朝鮮も森林資源利用などでロシアに接近していました。

ですからロシアに協力したいのですが・・・清や朝鮮が手を出すと・・・、イギリスが参戦してきます。

イギリスに出て来られたら勝ち目はない、ただでさえ香港をとられ、次々と痛めつけられているイギリスとは事を構えたくない・・・となれば、局外中立しかとる手はありません。

反日の活動は、反英の活動としてイギリスに攻め込まれます。

日本にとって最大の課題は戦費の調達でした。

当時の国家予算は2,6億円/年でしたが、陸海軍の戦費見積りは13億円です。何と国家予算の5倍!!

この難局を担当したのが、当時は新進の日銀マンであった高橋是清でした。

戦時国債を発行し、国内外から資金を調達するしかありません。

国内は渋沢栄一を始め、財界の主だった者たちを口説いて国債を募りますが、最大の課題はロンドン市場やニューヨーク市場です。

ロンドンもニューヨークも「対岸の火事」ですから冷ややかですが、大国ロシアがアジアに勢力を伸ばすのは面白くありません。

英国が表に立って戦争をするより、日本に代理戦争をさせた方がヨーロッパ列強にとっては好都合です。

そんな思惑から戦費の調達が可能になりましたが、始めのうちは高い割引率になりました。

しかし、緒戦から日本が優勢のニュースが流れる度に、高額でも国債が売れ出しました。日露戦争の戦費は最終的に18億円かかりました。

その後、1910年には東アジアのトラブルメーカであった朝鮮を併合します。

付録 日清戦争、日露戦争に関する筆者見解

いずれも朝鮮がらみの問題から戦争になります。

歴史問題の原点は「近代化に後れをとった朝鮮」に原因がありました。

このあたり・・・中韓の歴史認識はどうなっているのでしょうか?

他人を非難する前に、自らを省みてほしいものです。