次郎坊伝40 草履取り

文聞亭笑一

先週の番組で、徳川家に仕えることになった井伊直政が「草履番」という役割を与えられ、重臣たちの嘲笑を浴びる場面がありました。与えられた衣装も中間、小者の足軽衣装でした。時代考証の学者が付いているはずのNHKにしては、ちょっとお粗末な演出という感じがします。

戦国期に草履取り、草履番に任じられていたのは殿様の側近(秘書)の役割で、側小姓などとも呼ばれます。多くの場合、男色(同性愛・ホモ)の相手が多く現在の中学生から大学生までの年代の、眉目秀麗な色男が選ばれます。戦国武将が同性愛を好んだ(?)というか、同性愛者を近くに置いたのは戦場を駆け回ったり、遠征したりすることが多く、妻や側室など女性の元に帰れないからです。エネルギー発散のためか、ストレス解消のためか、信長をはじめとする名のある戦国武将は男色の趣味がありました。

草履取りで有名なのは、何といっても信長の草履取り・秀吉です。秀吉の場合、どう見ても色男ではありません。男色の相手(男妾)にはなりそうにありません。信長に仕えた時には年齢も適齢期を過ぎています。ただ…草履取りと言えば日吉丸・猿・藤吉郎・秀吉・・・という出世物語のイメージが強すぎるので、実態とは異なるイメージが定着してしまいました。

井伊直政の場合

直政が最初に与えられた役割が草履番だったか、身辺警護だったか、着替えの手伝い役だったか、定かにはわかりません。ともかくも家康の身の回りの手伝い、使い走りなどをする小姓(秘書)であったことは間違いありません。

小姓というのは一人前の侍ではありません。直政が「松下」を名乗れば家臣・松下家の武士として扱われますが、家名断絶中の「井伊」を名乗りましたか俸禄がありません。更に、俸禄を与えるには元服前で成人男子として扱えません。平和な江戸期ならいざ知らず、戦国期に元服前の者に俸禄は与えません。

つまり、無給の秘書官、小間使いです。商家でいえば住み込みの丁稚どんです。

「やはり正規の召し抱えになれなかった」と、失笑され、当人もがっかりしたのです。

秀吉の場合もそうですが、草履取りという役割は常時、お家の最高機密に触れる職場です。

従って、出自の定かでない者、機密を他に漏らしそうな者は、決して任命されません。当主にとって 100%信頼のおける者だけが任命されます。直政の場合は家康の正妻・瀬名の縁戚である…と云うのがその理由でしょう。山岡荘八や司馬遼太郎は、家康と瀬名(築山殿)が不仲だったと書きますが、相性は悪くとも不仲であったとは言えなかったのではないでしょうか。現代の夫婦と同じで、年中喧嘩をしながらも、それなりにやっていたと思いますね。

余談になりますが、瀬名・築山殿が悪女と言われるゆえんは家康の生母・お大の方と嫁姑の争いが深刻で、常に家康を悩ませていたところにあります。さらに、息子の信康をめぐって信長の娘・徳姫とも嫁姑合戦を繰り広げます。お大と徳姫は出自が織田系、瀬名は今川系ですから桶狭間二回戦ですね。

家康が井伊直政を小姓として側近に置いたのは

1、瀬名の顔を立てて、井伊家の将来的復活を約束すること

2、直政の才能にもよるが、将来は直政を息子・信康の帷幕・参謀として育てること

であったと思われます。

それにしても母親と女房が、女房と息子の嫁が、角突き合わせていたら…家康は岡崎城にはいたたまれませんねぇ。浜松城に逃避するしかないでしょうね。よく治世の順序として、修身、斎家、治国、平天下と言いますが、この頃の家康は「斎家」の部分ですら・・・苦労していたでしょう。

家臣団とて同様でしたからね。家康に心酔していたのは本多平八郎(忠勝)と榊原小平太(康政)くらいなもので、酒井党、石川党、大久保党、鳥居党などは派閥というか、独立子会社的雰囲気でした。徳川ホールディングスとしての結束力はそれほど強固なものではありません。

本多正信の帰参

鷹狩の際に「鷹匠」が出てきました。あれが本多正信です。

元々は三河の地侍、本多党の分かれですが熱心な一向宗信者で、三河一向一揆の折には民衆を煽って家康に盾突いた反乱軍の旗頭の一人です。一向一揆が鎮圧されて、三河を追いだされ、諸国をめぐります。あちこちの戦に陣借りして食いつなぎますが、これといった就職口も見当たらず、国に戻ります。

鷹匠として家康に再就職します。これは正信が放浪中に得た諸国の情報や、堺などでの先端技術情報が家康にとって有益だったためですが、家臣としての再雇用には至りません。酒井、大久保などは本多正信を毛嫌いしていましたし、本多平八郎、榊原小平太に至っては仇敵という目で見ていますから家臣団に加えるわけにはいかず、中間、小者の扱いになっていました。その意味では井伊直政と近い立場だったでしょう。この二人が「同病相憐れむ」的心情で結びつく要素は多分にあります。

鷹匠というのは鷹を育て、調教するのが役割ですが、当時盛んになっていた鷹狩とは、軍事演習を兼ねます。数百人の勢子を展開し、得物となるウサギなどの小動物を巣穴から追いだし、鷹の活躍できる草原に追い込みます。このためには勢子たちの動きを思い通りにコントロールしなくてはならず、戦略、戦術的才能が求められます。戦闘訓練というよりは用兵訓練ですね。本陣からは伝令がひっきりなしに駆けだし、勢子を指揮する武士たちに指令を飛ばします。獲物の逃げる方向などの報告も頻繁に入ってきます。家康としたら獲物を獲るという目的よりも、家臣たちの部下統率力や、忠実さを図る絶好の機会だったのでしょう。また、家康以上にそのことを観察していたのが本多正信だったでしょうね。

さてここ数日、「直虎」よりも面白いドラマが展開中です。

民進、希望、維新、立憲…などが集合離散に大童ですが、まさに戦国的ですねぇ。

「憲法改正絶対阻止」「平和憲法を守れ」と言っていた人たちが「安倍による改正は反対だが、百合子に依る改正なら賛成」と、「たわごと&笑詩千万」以前のことを言っています。要するに、御身大切なのでしょう。人間の汚さというか、素直さというか、正直さというか、……付き合いきれません。

しかし世の大半の方々は、マスコミの劇場的演出に酔わされて、主義主張、政策よりもムードで投票するんでしょうね。NHKなどは政策討論の各党の持ち時間を、何を基準に配分するのでしょうか。民進党というのは参議院にしか残っていませんからねぇ。

ただ、勝った方が歴史を作ります。英雄になります。敗けた方は悪人に仕立て上げられます。

勝つためには手段を択ばず…北の将軍様も同じ考えでしょう。原水爆とロケットを抱えて、中国か、ロシアの属国になる……という選択肢を考えているかもしれませんね。実に戦国的です。