いざ鎌倉 第36回 金槐和歌集

作 文聞亭笑一

先週、先々週と「いざ鎌倉」を2週間パスしました。

読者の皆様からは「これで終わりなの?」とご心配をおかけした向きもありますが、「時政追放」の舞台を・・・これだけ念入りに描いた物語、小説はどこにもありません。

補足記事を書くネタがありませんでした(笑)

三谷脚本が「北条家の親子、兄弟の情」をとことん追求した流れなので余計な情報は入れない方が、皆さんの楽しみが増すと判断しました。

「沈黙」も情報の一つかと・・・。

それにしても・・・新説として

時政が刀を抜いて実朝に出家を迫った。

時政邸に監禁された実朝の元に和田義盛が駆けつけた。

牧の方と尼御台・政子が別れの挨拶をして、伊豆に送り出した。

などは大胆な仮説です。

可能性の低い仮説ですが・・・「なかった!」と、否定はできません。

歴史物語とは概ねそういう代物で、後世の小説家の推理、推論による記述が多く、物語性が高いほどに喜ばれて後世に残ります。

その意味で司馬遼太郎は天才的歴史小説家ですね。

彼の筆にかかれば、すべてが尤(もっと)もらしく「真実」として現代人の感覚に理解されます。

今回の物語では後鳥羽法皇の側近として慈円僧正が登場していますが、慈円の書いた「愚管抄(ぐかんしょう)」も鎌倉時代を語る歴史資料の一つです。

北条を正義とする「吾妻(あづま)鏡(かがみ)」に対して、愚管抄の方は、聞き伝えによる情報が多く、評論家的になります。

宇都宮頼綱

牧の方の野心で犠牲になったのは、娘婿の平賀朝雅だけではありません。

同じく娘婿の宇都宮頼綱が疑われます。

宇都宮勢が大挙して鎌倉に攻め寄せる・・・といった噂が飛びます。

野次馬情報というのか、事件に便乗してライバルを蹴落とそうというケチな者共が暗躍します。

宇都宮・・・栃木県の県庁所在地ですが、「一宮・・・いちのみや」が訛っての地名だとも言います。

余談になりますが、古代から縄文文化と弥生文化が習合した下毛(しもつけ)野(の)(栃木県)は、隣の上毛(かみつけ)野(の)(群馬県)と並び関東の中心的勢力でもありました。

現在の群馬県、栃木県を合わせた地名が「毛野」ですが、毛野の軍事力は奈良朝の頃から大和朝廷に利用され、天智天皇の朝鮮出兵の際の主力部隊は毛野族を中心とする関東勢でした。

上毛野、下毛野が群馬、栃木の正しい国名ですが、後世になると文字表記は「毛」が抜け落ちて「上野」「下野」になります。

しかし、読み方は「こうづけ」「しもつけ」ですから「毛」が残って「野」が消えます。

群馬と栃木をつなぐ鉄道に両毛電鉄がありますが、「なぜ、毛なのか」を知る人は少ないでしょうね。

追討軍の派遣が検討されますが、親戚である小山朝政の仲介で、宇都宮頼綱が出家することで戦争を回避します。

出家の証拠として届けられたのは頼綱が断髪した「毛・・・髪の毛」でした。

歌人?・実朝

実朝・・・病弱な文学青年・・・といったイメージで語られることが多いのですが、実際はどうだったのでしょうか。

実朝の事跡として藤原定家に師事して習得した和歌の道があります。

実朝自選の金槐和歌集を発行していますが、そこに歌われている和歌・短歌には政権担当の力強い歌もあります。

時により 過ぐれば民の嘆きなり 八大龍王雨やめたまえ

長雨による水害や、不作による人民の生活を心配して、神に祈る姿勢が見えます。

また、時政追放を巡る北条家の騒乱に関して詠んだ?・・・と思われる歌もあります。

物言わぬ 四方(よも)の獣(けだもの)すらだにも あわれなるかな親の子を思う

大海の 磯もとどろに寄する波 吾や砕けて裂けて散るかも

先週の放送では、将に「砕けて、裂けて、散って」しまいそうでした。

金槐和歌集の意味は、金=鎌倉 槐=右大臣 の意味があるようです。

つまり鎌倉右大臣歌集、一番知られている歌は、小倉百人一首に採用された歌でしょうか。

 世の中は 常にもがもな渚漕ぐ あまの小舟の綱手かなしも

実朝と鴨長明

鴨長明と言えば方丈記、「行く川の流れは絶えずして、しかも元の水に非ず・・・」非常に文学的で、しかも自然科学的で・・・私などは心底から納得してしまう名文です。

その長明が鎌倉を訪ねて、実朝と会見しています。(1211)

その時、長明が鎌倉を評して詠んだ歌があります。

草も木も なびきし秋の霜消えて 空しき苔を払う山風

この歌をどう読むか、解釈するか・・・小説家の出番ですねぇ。

草も木もなびいた・・・鎌倉政権が東国を制圧した。

御家人たちは鎌倉殿を信頼している

秋・・・鎌倉、関東は実りの秋を迎えた 経済発展が更に進むであろう

霜消えて・・・反乱などが起きる不安もない 不安定要素もない

空しき苔・・・政争で消えていった者たち 平家、義経、・・・

払う山風・・・もはや過去のことだ

こう読むと、鴨長明の「鎌倉よいしょ」の歌となります。

実朝とは意気投合して何度か会っているようですから、鎌倉礼賛の歌があっても不思議ではありません。

以下、実朝の歌を味わってください。

出でて去(い)なば 主(あるじ)なき宿となりぬとも 軒端の梅よ春を忘るな (道真の本歌取り)

風騒ぐ をちの外山に雲晴れて 桜に曇る春の月の夜

今朝見れば 山も霞みて久方の 天の原より春は来にけり

萩の花 くれぐれまでもありつるが 月出てみるになきが儚き

空や海 うみや空ともえぞ分かぬ 霞も波も立ち満ちにつつ

神風や 朝日の宮の宮遷(みやうつり) かげのどかなる世にこそありけれ  (伊勢神宮の遷宮)

磯の神 古き都は神さびて たたかにしあらや人も通わぬ

塔を組み 堂を作るも人なげき 懺悔に勝る功徳やはある   (寺社建立ブームを批判?)

神と言い 仏と言うも世の中の 人の心のほかのものかわ

いとおしや 見るに涙もとどまらず 親なき子の母を尋ねる

山は裂け 海はあせなむ世なりとも 君に二心わがあらめやも  (後鳥羽上皇へ)