乱に咲く花 40 武家の商法

文聞亭笑一

時代は一気に明治と言う時代に突入しました。文(美和)さんは大正10年(1921)まで生きて、79歳の天寿を全うしますからまだ先は長いのです。先週の放送で、版籍奉還、廃藩置県による社会の大きな変化を取り上げていましたが、毛利藩の大奥という特殊な世界の話でしたからピンとこない方が多かったと思います。

版籍奉還とは、将軍から与えられた権限を朝廷にお返しすることです。お返しして、再度朝廷から藩知事という立場を与えられましたから、社会の基本構造は変わっていません。

一方、廃藩置県というのは江戸時代から続いてきた藩という社会単位、線引きをやり直すということで300諸侯に分かれていた行政単位を大幅に削減するということです。現在の47都道府県にまではいきませんでしたが、70余りの行政単位に削減し、市町村合併ならぬ国合併をします。いや、国と云う呼称は日本国一つに集約し、かつての「国」は「県」と呼び名を変えます。

先週も触れましたが、朝敵藩、曖昧藩と呼ばれたところは相当強引に線引きがされましたね。

一つの例として長野県を見てみましょう。

「国」としては奈良時代の律令制で信濃の国とひとつでした。それが、江戸期になると11の藩に分かれます。更に随所に天領が置かれ、大藩の飛び地領ができます。木曽谷は尾張藩領であったのがその典型です。

飯山藩 2万石   本多家     子爵

須坂藩 1万石   堀家      子爵

松代藩 10万石  真田家     伯爵

上田藩 5,3万石 藤井松平家   子爵

小諸藩 1,5万石 牧野家     子爵

岩村田藩1,5万石 内藤家     子爵

田野口藩1,6万石 大給松平家   伯爵  幕府陸軍総裁

諏訪藩 3万石   諏訪家     子爵  幕府老中

松本藩 6,3万石 戸田家     子爵  朝敵藩

高遠藩 3,3万石 内藤家     子爵

飯田藩 1,7万石 堀家      子爵        (大名の日本地図 中嶋繁雄)

明治政府が後に行った叙位叙勲での評価「爵位」を参考までに載せておきました。

会津城攻めで佐久間象山が鋳造した大砲で会津鶴ヶ城を開城させた真田藩が高い評価(伯爵)を受けているのはわかりますが、田野口藩は朝敵どころか伯爵をもらっています。世渡り上手というのか、政治力というのか、変化への素早い対応が高評価を受けたのでしょう。

多分・・・江戸城無血開城、幕府軍の解散・恭順が評価されたのであろうと推察します。

さて、これを県に束ねていきます。

先ず北信濃の方を、真田藩を中心にしてひとまとめにします。「長野」という新しい名前を作り、ひとまとめにします。松代県では他の藩が納得しなかったからでしょうね。

南は松本を中心にまとめますが、朝敵に「松本」は使わせません。郡名の筑摩県とします。

それも、わずかの期間に廃止して、長野県に吸収合併させてしまいます。

徴兵令は元々、長州軍参謀大村益次郎の発案である。これを帝政ロシアに留学して軍事大国の構想を持った山県狂介(有朋)が引き継ぎ、岩倉や大久保などが欧州視察で留守にした間隙をぬって西郷を動かし、国家の兵制として決めてしまった。

「やったもんの勝じゃよ」中韓へのお詫び外交の総本家である村山富市のセリフではないが、まさに空き巣狙いのような寝技で西郷を説得し、実行してしまったのが帝国陸軍の徴兵制でした。国民皆兵、これは武士階級でも最下位の家柄であった山県狂介にとっての夢でした。奇兵隊こそ真の日本の軍隊である。軍事を武士に任せてはいけないという思想で、ちょっと共産主義的平等発想の匂いがします。しかも、陸軍は長州人が握るという派閥意識が濃厚で、軍のトップは長州出身者で固めてしまいます。

山県元帥の最盛期、明治30年の陸軍幹部の出身地別構成を見ると
大将は、すべて長州
中将は長州12人、薩摩13人、福岡4人、東京1人
少将は長州40人、薩摩26人、土佐6人、福岡4人、石川4人、東京2人、熊本1人

これが太平洋戦争まで続きます。薩長派閥が政治を壟断し無謀な戦争に導いていったとも言えます。薩摩が少ないではないか…と疑問を持たれるかもしれませんが、薩摩は海軍を握りました。海軍の大将、中将、少将は圧倒的に薩摩人ですが、海軍幹部は全国区の散らばりがあり、陸軍ほど極端な一部集中ではありませんでした。

ともかく、バランスを欠くというのは良くない方向に流れやすいですね。最近ではほとんどなくなりましたが、企業でも閨閥、出身地閥、学閥などが幅を利かせた時代がありました。閉鎖社会を作って、世間を狭くしてしまいます。

私なども入社した時は余所者でした。関西系企業でしたから主流派は関が原の西軍地域の先輩ばかりで、言葉から関西弁に馴染まなくてはなりません。「全国区の会社にしようではないか」

「グローバルな会社にしようではないか」・・・こんなのが、私のライフワークになりました。

明治維新のスローガン、吉田松陰の言う「志」は5か条の御誓文です。

1、広く会議を起し万機公論に決すべし
1、上下心を一にして盛んに経綸(経済)を行うべし
1、官武一途庶民に至るまでその志を遂げ人心をして倦むまざらしめんことを要す
1、旧来の陋習を破り天地の行動に基づくべし
1、智識を世界に求め大いに皇国を振起すべし

・・・が、結局は軍部独裁に走り、敗戦、他国による占領という形で破局を迎えました。

しかし、5か条の御誓文で言っていることは現代にも通用します。

万機公論に決すべし・・・ですよ。正々堂々と議論し、是々非々で会議に臨まなくてはいけません。自分の意見が通らないからと言って赤旗を振り回し、拡声器で大声を張り上げて「民意民意」などと蝉の真似をしていてはいけません。会議場をセクハラ封鎖してみたり、時間潰しの長演説や牛歩戦術で時間稼ぎをするような卑怯な戦術はやめるべきです。やればやるほど、品位を失い、尊敬と信頼を失います。

盛んに経綸を行うべし・・・いつの時代でも経済が社会の基本です。ない袖は振れません。財政の裏付けがない政策は必ず破たんします。

倦まざらしめん・・・安倍総理の言う「一億総活躍時代」が言葉だけでなく実現するように、一億が夫々に考えなくてはいけません。「倦む」というのが…認知症の病原菌なのです。志が遂げられるか否かは時の運ですから確率は1/2ですが、「やる気」がある間は呆けている暇がありません。「クソ!」「チクショウ!」などと下品な言葉を口にしますが、この言葉が出るうちは呆けませんね。「ショウガネェ」が多くなると予備軍入りかもしれませんよ。

天地の行動に基づく・・・科学の世界でしょう、「あるがままに見る」ことだと思います。

後白河は意のままにならぬものとして「賽の目」「鴨川の水」「叡山の山法師」を挙げましたが、世の中は意のままにならぬことばかりです。地震、雷、火事、親父・・・いずれも摩訶不思議です。マスコミが自分たちの先入観で勝手な情報を押し付けてきますが、それに惑わされないことでしょうね。情報過多の時代ですが、情報の「目利きをする技」が必要になってきました。

智識を世界に求めて・・・明治以来の物まね文化は健在です。が、最近は情報の品質を勘案して自ら考えるのが普通になってきました。大いなる進歩だと思います。

「青いキリン」というジョークがあります。青いキリンを見せてくれたものには莫大な賞金を支払うという大富豪の提案にそれぞれの国がどう対応したかです。

この中で、「中国人は青いキリンを作ろうと青いペンキを買いに行った」とからかっていますが、高度成長期の日本人も似たようなものでした。ましてや明治の日本人はモノマネばかりでした。モノマネと、伝統技術が融和して独自の新技術が生まれます。だからこのジョークで「日本人は品種改良の研究を始めた」と揶揄されます。

ついでですから他の国も紹介しましょう。

ドイツ人は図書館に詰めて世界中の文献を精査し始めた

イギリス人は専門家を集めて議論を始めた

アメリカ人は世界中に軍隊を派遣して探索を始めた

さもありなん・・・と笑ってしまいますが、品種改良の研究を始めるのは日本人だけではありません。科学技術の世界では日本はまだまだです。とりわけ心配なのは最近の若者のスマホ依存症で、自ら考えることなく、外部に知識を求めすぎる性向ですね。

NHKドラマのストーリとは全く離れた「たわごと」になってしまいました。

文さんと楫取素彦は武家の商法ならぬ武家の百姓を始めるのですが、農業と言うものは自然が相手です。自然科学の世界です。しかも、売値は相場という得体の知れないものに左右されます。これほど難しい職業はありません。

失業した武士たちの苦境は、風水害に悩む農民とは比較にならぬほど過酷だったと思います。映像で俳優が畑を耕す場面が出てきますが、私のような百姓の息子から見たら「見ちゃおれん」と云う手つきですねぇ。あれでは耕すことはできないでしょう。土にはね返されます。

維新で職を失った武士たちが畑を耕す姿を再現する映像としては名演技でしょうね。あんな風だったと思います。百姓仕事を始めては見たものの・・・大半が土地を捨て、都会へ、東京へと向かったであろうことは容易に想像がつきます。人口の大移動が始まります。