次郎坊伝44 出世街道

文聞亭笑一

先週、万千代の最初のお手柄の話を書いてしまいましたが、一週間分フライングでした。

とは言え、万千代が家康の寝所に忍び込んだ暗殺者たちを斬ったのは、天正4年(1576)のことですから、高天神城での対陣中の出来事です。

長篠で一敗地にまみれた武田勝頼が、起死回生と遠江の橋頭保である高天神城に大量の軍需物資を搬入します。動員した兵力も2万に近かったようで、リベンジマッチを窺うつもりであったようです。

柴原で家康軍と対峙しますが、決戦を指令しようとする勝頼を必死に止めたのが高坂弾正でした。この時の武田軍の主力は、長篠では無傷だった北信濃兵が中核だったようですね。高坂弾正は川中島・海津(松代)城主です。真田勢もその傘下にありますから、出陣していたと思われます。高坂弾正、真田昌幸が揃っていました。この二人は信玄が手塩にかけて育てた軍略家ですから、長篠での敗因分析などは十二分にしていたでしょう。鉄砲の威力とその用法に長けた織田、徳川と正面から戦うことの不利、地の利が悪い所で戦う不利などを勘案し、決戦を避ける進言をしたと思われます。

それでもなお、自ら先頭に立って突撃をしようとする勝頼の馬の手綱を抑えて、必死の諫言をして思いとどまらせたのが高坂弾正だと軍記物にありますから、勝頼という人は戦略よりも体育会系の人だったのかもしれません。自他の戦力比較や、周囲の勢力を勘案した政治的判断が乏しかったようです。どちらかと言えば…直情型ですね。

その証拠に、上杉謙信が亡くなった後の越後の後継者争い(御舘の乱・・・景勝と景虎の家督争い)に首を突っ込んで景勝の味方をし、北条氏政の弟・景虎を殺してしまいます。これに怒った北条氏政が武田との同盟を切り、家康との同盟に走りますから、自ら駿河・遠江方面で敵を作ってしまうことになります。四面楚歌の状況を自ら招く…自滅への道ですね。

さて本題。

井伊直政・万千代の出世物語の軌跡を、年代を追って辿ってみます。

この後、井伊直孝が家を継ぎ、二度の大阪の陣での働きにより、彦根35万石の大藩となる。

今回の物語は直虎が亡くなるまででしょうね。ともかく、倍々ゲームのような出世ぶりです。

前回放映、予告編では天正6年まで進んでいましたから、今週は万千代の具足はじめが中心でしょうか? 脚本家の筋書きは・・・残念ながら全く見えておりません。

ともかく、家康は難攻不落の高天神城を横目に駿河への進出を計ります。高天神城から横槍(側面攻撃)を受ける危険はありますが、成長戦略を取らないと味方の士気を維持できません。先週の番組でもありましたが、戦いに勝つということは、当然恩賞がつきものです。

①主力の東三河勢(酒井忠次、本多平八、榊原康政など)は加増を期待します。

②先鋒として犠牲を強いられた遠江勢(旧今川勢)は寝返り、協力の代償を求めます。

③岡崎勢(西三河勢…石川数正、大久保党など)は留守居の代償を求めます。

とりあえず・・・旧今川を取りこむために②に手厚く配分しましたが、①③は「ケチ」とこの裁定に不満を抱きます。しかし、これが家康の生涯の方針になりましたね。調略に応じた外様には手厚く(加賀百万石、薩摩70万石、伊達70万石など)身内にはケチる、という方針を貫きます。

その意味で井伊は例外でした。酒井、本多、榊原、大久保などの譜代の重臣たちでも10万石そこそこです。なぜ手厚かったか…考えられることは瀬名(築山御前)の縁戚ということくらいしかありません。後に謀臣・官房長官の役目をする本多正信、正純親子とて10万石以上はもらえませんでした。彦根井伊家の35万石は、親藩の水戸家35万石と同じです。

そう考えると、「家康・築山不仲説」というのは後世の「小説」のようにも思えます。

悪女だと 口では言ふが古女房 腹の底では菩薩と思ひつ

・・・といった想いが、読者の方々にもおありだと思います。いつの世でも…そういうものです。

直虎の涙

万千代の具足はじめは家康のお声掛かりで浜松城の大広間で行われます。具足はじめというのは、いわゆる初陣の式典で武将としての出発点です。つまり管理職任命式です。その点で、元服、成人式とは違います。

この時、万千代はまだ元服を済ませていません。これは万千代の我侭で「井伊の総領、旗頭は直虎である。俺ではない」という意向を、家康が許したということでもあります。その裏には、瀬名の実家である井伊家への慮りと、秘書としての万千代を手放したくないという想いが感じられます。成人し、一方の部署を任すとなれば、どうしても傍には置いておけなくなります。なぜなら、万千代の部下たちが「贔屓されている」と勘違いして増長してしまうからで、そうなると徳川家の組織秩序を乱します。

未成年でありながら、一方の組織を任せる・・・というやり方は、御曹司に近い方法ですよね。

こういうことがまかり通ったのも「色小姓・同性愛者」の噂の効果だったかもしれません。信長の森蘭丸、信玄の高坂弾正と同じ立場です。エリートとしての特別扱いです。天正8年に、これといった武功がないのに7千石も加増されているのも、それを推察させます。

具足はじめには直虎、南渓も招待されます。具足親は菅沼藤蔵・・・あまり知られていませんが、徳川軍団ではNo1の戦士です。体育会系代表選手・・・長嶋茂雄、王貞治といった人です。

元々、土岐源氏の流れですが斎藤道三に攻め滅ぼされた美濃の名家です。幼少期に家が潰れ、菅沼家で育った人で、境遇は万千代によく似ています。

直虎、南渓の感激は言葉にならぬほどだったでしょうね。後はテレビをご覧ください。