水の如く 47 天下大乱

文聞亭笑一

秀吉が死に、利家が後を追うと、政局は一気に活発化します。

会議で、話し合いで、という雰囲気は消し飛び、力と力の対決に向かいます。

先に火をつけたのは三成方の直江兼(かね)続(つぐ)で、大老の上杉景勝を動かして家康との対決姿勢を鮮明にします。この件(くだり)は何年か前に同じ大河ドラマ「天地人」で描かれた通りです。

世に言う「直江状」を家康にたたきつけ、宣戦布告します。この内容は#186に乗せておきます。昔から文聞亭の読者の方でファイルをお持ちの方は「雪花の如く#35」をご参照ください。

ともかく、三成を追放してからの家康の専横ぶりはこれ見よがしで、反対派を虐め倒す策略でした。家康暗殺計画を捏造し、前田利長を大老から除き、宇喜多家にはお家騒動を仕組むなど汚い手を多用します。タヌキ親父の面目躍如です。これがあるのと、後に大坂の陣を始めるために使った鐘銘事件で、家康には人気がないのです。「汚い男」の代名詞になりました。まぁ、政治は綺麗ごとばかりでは政権に近づけません。

信長も、秀吉も…、その意味では汚いことを繰り返していますしね。

現代の国際政治も汚いですよ。中国政府のやり口を見ていれば、家康などは可愛い方ではないでしょうか。「綺麗好き」は日本人の特性ではありますが、清濁併せ呑む度量も必要でしょう。清く、正しく、美しくだけでは国際政治の泥海を乗り切れません。

185、<やがてこの国を二分する戦が起きる。豊臣家の天下を守らんとする石田三成と、それを打倒して新政権を樹立せんとする徳川家康。そうなった時、このわしはいかに動くか>  如水は考えた。
<家康には、長年、乱世を生き抜いてきた豊富な経験と知恵がある。しかるに、若い三成にはそれがない。このまま家康で天下が決まりなら、老いぼれのわしの出る幕などない。だが、そうはすんなりいかぬのが、世の中と言うもの…>

以前にも書いたと思いますが、家康と三成は、国家構想が根本的に違います。家康は、鎌倉幕府の政治形態を手本にした封建制の復活を狙います。一方の三成は、官僚機構による中央集権体制を狙います。後の歴史を見れば、三成の方が進んでいたとも言えますね。これも保守と革新の争いと言えます。

ただ、進歩的というだけでは人はついてきません。「天の時、地の利、人の和」などと言いますが、戦国生き残りの大名たちには、中央集権構想は理解できなかったと思います。信長流の恐怖政治、秀吉流の対外侵略には辟易としていたと思います。戦疲れ、競争疲れ、そんなものが国全体を支配していました。

官兵衛・如水の立場は微妙です。軍事面だけで考えるのなら、息子の長政に任せて、勝ち馬に乗るだけですから、迷わず家康方に付きますが、家康の志向する封建制回帰の復古思想には異論があります。信長によって改革された商工業の発展を停めたくはない…という意欲があります。目薬屋から発した黒田の伝統、金銭の力を使った数々の作戦での成功体験、そんなものが、家康の狙う体制とは整合できないのです。

186、6月2日。家康は東国に領地のある諸大名を大阪城西ノ丸に招集した。上杉討伐軍の部署と進路を議した。豊前中津の如水のもとに、その知らせが早舟を以てもたらされたのは、三日後のことである。

家康は、ジワジワと5大老制の切り崩しを進めています。先ず標的にしたのが加賀百万石の前田家。重鎮の利家が死んだ混乱を狙って、罠を仕掛けます。前田利長と大野治長など秀頼(淀君)の側近が家康暗殺計画をたくらんだと言いがかりをつけ、戦を仕掛けます。が、これは前田利長が詫びを入れ、大老職を退くことで不発に終わりました。

次に狙ったのが宇喜多秀家です。この家は先代の直家が陰謀家だったこともあり、家中の結束が弱い所に付け込んで、お家騒動を誘導します。秀家が中央政権で天下国家を論じている暇をなくしてしまおうという策略ですね。若い秀家はこの手にまんまと引っ掛り、帰国して大阪を留守にします。残るは毛利と上杉ですが、結束の固い毛利本家と吉川、小早川の三本の矢には隙がありません。そこで上杉に狙いを付け、謀反の言いがかりを付けます。これに対する反論が…有名な直江状です。以下、現代文で意訳してみます。

  ① 会津と伏見では距離が遠いので、正しい情報が伝わらないのは仕方ありませんね

  ② 上洛が遅れているから、豊臣家に対して逆心があるというのは心外だ

  ③ 帰国したばかりで、まだ治世が何も出来ていない。まして会津は雪国ですよ

  ④ 誓紙を出せと言うが、秀吉にも、秀頼にも嫌と言うほど出してある

  ⑤ 武器を集めていると詰問するが、武士として武器を集めるのは当然ではないか

    上方の武士が、茶器や茶碗を集めるよりはマシではないか

  ⑥ 道を作るのは領民の利便を図るためである。それを怖れて大騒ぎをしている隣国の領主(越後の堀家)は、治世を知らぬ愚か者ではないか

  ⑦ 上杉には謙信以来の「武」の伝統がある。兵の訓練は当然のことだ。 上杉が正しいか、内府様が正しいかは、世の評判が決めるものである

  ⑧ いたずらにうわさを信じ、上洛しにくい環境を作っているのは家康ではないか。

上杉が上洛する・しないは家康の分別次第だ

⑤⑦などは痛快ですねぇ。明らかに挑発しています。上杉には勝算がありました。兼続と三成は帰国の途中で、佐和山で作戦計画を詳細に、入念に打ち合わせ済みです。

家康が上杉に攻めかかったら…関西で三成が兵を挙げる……というものでしたが、三成がフライングしてしまいます。攻めかかる前に兵を挙げ、しかも伏見城を焼いてしまったりしたのです。家康以下東軍が無傷で残ってしまいました。やはり、石田三成には軍事的センスは乏しかったようですねぇ。

187、「勝負は一度で付けた方が良い」 たとえ上杉に勝ったとしても、家康が豊臣家の筆頭家老として軍を動かしている以上、それだけでは天下の覇権を掌握したことにはならない。しかし、石田三成が組織する西国諸将との決戦に持ち込み、これに勝利すれば、家康は一足飛びに――天下人――の座を手中に収めることができる。

家康の読み筋は、如水も手に取るようにわかります。家康は、東の上杉に向かって進軍しながらも、心は…佐和山の三成の動きに集中していました。

三成が焦ったのは、「いずれ味方に」と考えていた諸大名の軍勢が目の前を通り過ぎていくのを連日、目にしていたからです。「○○よ、お前もか」という感じだったでしょうね。

盟友・大谷吉継が東に向かうのを見て、我慢できなくなりました。兼続との約束を忘れて旗揚げしてしまいます。これが西軍の最初の失敗です。如水の読み筋とも、家康の読み筋とも外れていたでしょうね。この失着に家康は大喜びです。

188、家康の側近本多正信に依頼された黒田長政と藤堂高虎が、前夜のうちに福島正則を焚き付け、軍議の冒頭で檄を飛ばすよう仕向けていた。秀吉子飼いの福島正則が、いち早く家康への忠誠を誓えば、その瞬間に軍議の流れは決する。石田三成への個人的な恨みを抱く正則の感情を利用した、巧みな策略だった。

家康軍はのんびり北上を続けます。口実は「後続の兵を待つ」と言うものですが、内心では上杉と対陣する前に「西で異変が起きてくれ」と願っての、ゆるゆる行軍です。

ここ小山会議で活躍するのが黒田長政。秀吉の直属軍団で東下軍リーダである福島正則に「三成を討つ」と宣言させれば、家康の直属軍を使わなくても西軍に対抗できる勢力が結束できるからです。この場に多少なりとも政治の分かる加藤清正がいたら…、これほど簡単にはいかなかったと思いますが、うまうまと家康の策謀に引っかかりました。

無傷のままの軍団が西に向けて東海道を引きかえします。上杉への押さえには結城秀康が残ります。そして、徳川の主力を率いた徳川秀忠は中仙道を西に向かいます。いよいよ関ヶ原の決戦ですが、今週はこの辺りまででしょうか。

この間に、官兵衛・如水からの手紙が結城秀康、前田利長、伊達政宗、吉川広家に飛んでいます。これが第三極構想です。内容は

「お互いに兵力を損傷せず、東西対決の結果を見ようではないか。

どちらが勝つにしても戦は長引くだろう。西軍は負けるだろうが、毛利が大阪城に籠城すれば、3月、半年の戦になる。伊達は上杉を叩くふりをして様子を見ていてくれ。結城は機を見て、家康、秀忠が不在の江戸城を乗っ取ってしまえ。前田は西軍の城をゆるゆると攻めていたらよい。その間に如水は九州を手に入れる」

家康と三成以下の奉行衆を除いて、諸侯連合の連立国家を作る…これが官兵衛の最後の賭けです。……以上のストーリは、安倍龍太郎の小説「風の如く、水の如く」の説です。