六文銭記 46 女の戦

文聞亭笑一

先週の戦闘シーンは、NHKもそこそこ金をかけましたね。迫力…というほどではありませんが、結構リアルに描いていたのではないでしょうか。

ただ、長曾我部盛親が自ら石落としの蓋の閂(かんぬき)を開こうとするなどはお笑いです。元・土佐20万石の大名が石落としの現場作業などしません。読者の中に土佐人もいますし、おらが国の英雄を道化役者にしたら叱られますよ。盛親はどちらかと言えば文化人で、戦争体験は殆どありませんが、配下には精強を謳われた関が原の生き残り、一領具足の精鋭が揃っていました。夏の陣では大活躍をします。

それに、後藤又兵衛や毛利勝永、木村重成まで真田丸に詰めているはずはありませんからね。この辺りは差し引いてみなくてはならないでしょう。

しかし、木村重成の伝令として真田丸に来ていた木村の家臣・高松内記が、援軍派遣を要請し、即刻援軍が派遣されたようですから、木村重成自身が真田丸に駆けつけていた可能性はあります。

ともかく、真田兵に誘いだされた前田、松平、井伊といった面々は家康から大目玉を食います。

「だから言ったじゃないか」と愚痴タラタラの説教でしょうね。将軍の娘婿、家康の孫といった連中でしたから処罰されずに済みましたが、家康に目を付けられていた外様大名だったら「クビ」です。改易か、大幅減封ものでしょうねぇ。

結果論ですが、この事件で徳川軍が慎重かつ真剣になりました。軍令に対しても忠実度が増しました。

「うかつに攻めるとヤバいぞ」と言った警戒心を全軍が持ったでしょうね。

大砲攻撃

真田丸の戦の後、徳川軍は動きを停めます。豊臣方も11月4日の戦闘で痛んだ箇所の補修や武器弾薬の再配置など、体制を整えて徳川方の包囲網の動きを注視します。

徳川方がうかつに動けなくなったのは、大阪城の南の攻め口が真田丸の存在で力攻めできぬと分かったからで、その他の3方向からは犠牲を出すだけです。満々と水をたたえた堀と、そりの大きな石垣ですから城にとりつくことすらできません。さすが太閤秀吉が難攻不落と豪語しただけの要塞なのです。

現在の大阪城周辺から想像するのは困難ですが、大阪城の立つ上町台地は、古代には南から北に細長く大阪湾に突き出した半島でした。従って東、北、西からは数十メートルの高さがあり、徳川勢の陣からは城を見上げる形になります。鉄砲を撃ちかけるにも万有引力の法則に逆らうわけですから、射程距離が稼げません。一方、大坂方からはその逆です。至近距離まで引き付けて撃ち下ろせば弾の威力も命中率も格段に上です。

徳川方は随所に井楼を築き始めます。大阪城との高低差を無くし、鉄砲を撃ちかけようと言うもので、さらにその井楼に大砲を据え付けようというのですから、かなりの構造物になります。二日や三日でできる物ではありません。最初にこれを提案したのは藤堂高虎だったようですね。真田丸の前面にいますから、真田の作った堀の前面に土塁を積み上げて弾除けにし、その裏側に大規模な井楼を組み立てていきます。が、藤堂の井楼からの攻撃は真田丸からの狙撃で銃士たちに撃ち落とされ、成功しなかったようです。

しかし、このアイディアは東西、北方面に応用され、一定の成果を上げました。高低差が無くなれば銃の性能が勝負を分けます。西洋と交流していた九州の大名たちは火縄銃ではなく、新式の鉄砲を数多く保有していたようです。また、輸入した大砲も持っていました。これが威力を発揮し始めます。大阪城本丸が大砲の射程距離に入ってきます。

物量に勝る徳川方は、まず、夜間射撃を始めます。大坂方の将兵を眠らさない、とりわけ茶々を頭とする女たちを不安に陥れるという作戦で、昼夜の境なく…というより、夜間こそ積極的に銃声を響かせます。この音が京まで聞こえたとイエズス会宣教師の本国への報告にあるほどです。

大坂方もこれに応戦しますから、すざまじい銃声だったでしょうね。寝てなどいられません。戦慣れした歴戦の兵たちは眠ったでしょうが、女たちや若者は不安に怯えたでしょう。

真田幸村への懐柔工作 寝返りのススメ

12月11日、攻めあぐねた家康は、本多正純に真田の寝返り工作を指示します。

正純が交渉役に選んだのは、幸村の叔父、真田信尹でした。幸村の兄・昌幸が参陣していれば兄・昌幸が指名され、辛い立場に立たされたでしょうが、信之の息子たちでは幸村に面識がありませんし、戦時下の交渉事など荷が重すぎます。私などは<信之はこのことを想定して、仮病で逃げた>と思っています。神経麻痺のような症状ですが、40代でそんな重病になる人が90歳まで生きられはしまいと思うからです。

叔父の信尹(のぶただ)、天正壬午の乱の後、一旦は家康に仕えますが、ケチな家康が大名(万石以上)にしてくれなかったのを不服として、浪人し、会津の蒲生に仕えます。蒲生氏郷が死んで、蒲生が減封になり宇都宮に戻った際にリストラで浪人し、また、徳川に出戻ります。甲斐の長坂に領地をもらい、旗本として家康の使い番(伝令)となって参陣していました。

正純は、まず、「信濃で一万石の大名にする」という条件を持ちだします。

これに対して幸村は「和睦後に1000石の旗本にしてくれるのなら受ける」と答えます。

これは意味深長で、

1、徳川に4度も苦渋を舐めさせた昌幸、幸村の真田を許すはずがない。

2、家康が許しても自らの初陣を第二次上田合戦で汚され、関が原遅参の大恥辱を与えられた将軍・秀忠が許すはずがない。落ち着いたら何やかやと難癖をつけて取潰されるであろう。

3、僅か千石の旗本なら、目障りにはなるまい。千石あれば、家族を養うには十分だ。

妻をはじめ、大助や娘たちも九度山での貧乏生活に慣れているから、十分生活できる。

という判断です。

信尹はこれを持ち帰って本多正純に相談します。すると「一万石では不足か」と勘違いした正純が「信濃一国を与える」と値をつり上げます。

これには幸村が烈火の如く怒ったと言います。条件が非現実的に過ぎるからです。

この当時信濃には兄の信之を始め、十数人の大名の領地があります。それをすべて他所に移さなくてはならないわけで、既に版図が決まり、日本全国のどこにも移すべき「空」はありません。

あるとすれば・・・豊臣70万石だけですから、豊臣を潰さない限り捻出できません。

幸村は「講和=秀頼が大阪城を明け渡しても、大大名としての豊臣家は存続する」という図式を描いていましたから、豊臣滅亡後の空き地など念頭にないのです。

あまりの非現実さ、バカバカしさに、仲介の使者に立った叔父の信尹を怒鳴り倒したとも言われます。それはそうでしょうね。関ヶ原から14年も経って、もはや戦国時代ではないのです

片桐且元召集

夜間鉄砲攻撃の心理作戦は一定の成果を上げましたが、城内の男たち、とくに幸村、又兵衛を中心とする戦慣れした浪人衆は鼻先でせせら笑っていました。「家康が雀脅しをしておるわい」と言った冷ややかな反応です。その様子は織田有楽、織田常真、木幡勘解由といったスパイから、浪人に紛れ込んだ柳生や伊賀者たちを通じて、刻々と家康本陣に伝わります。大砲の狙いがあちこちに分散するのと、命中率が低すぎて、殆んど城方に損害を与えていなかったのです。

そこで裏切りを警戒されて、淀川口の最後方に置かれていた片桐且元が呼ばれます。

家康は有楽からの情報で女たち、とりわけ茶々や大蔵卿が大砲玉、鉄砲玉を怖がっていることを掴んでいました。狙いは茶々の居る御殿…その一点に絞り込みます。それがどこか、・・・それは最も直近まで城内にいた片桐且元が熟知しています。

且元は悩んだでしょうね。豊臣の存続を想う気持ちは誰よりも強いのです。拒否したら片桐家は反逆者になりますし、違う場所を指示するような嘘をつける性格ではありません。謹厳実直そのものです。私が且元を主人公にして書いた小説のタイトルは「篤実一路」ですが、クソがつくほどの真面目人間です。

12月16日、鍋島、黒田、細川など新式大砲を持つ諸藩の陣に片桐の兵がつき、狙いを本丸御殿の茶々の居室に絞り込みます。そこから大砲の一斉砲撃が始まります。撃ち手から着弾点は見えませんが、片桐兵は井楼よりもさらに高い場所から着弾点を確認し、本丸御殿に弾丸を誘導します。この数発が茶々の寝所近くに着弾し、女たちに死者、負傷者を出しました。

これで茶々も大蔵卿もパニックに陥ります。ヒステリー症状を発症します。こうなると、もはや手が付けられません。唯一の策は、茶々と大蔵卿を地下牢にでも押し込めて、口出しをさせないことですが、秀頼も大野治長も、自分の母親を押し込めるなどと云う乱暴ができませんでした。

「和議じゃ、和議じゃ」ヒステリー女に論理は通じません。

真田幸村をはじめ、後藤又兵衛などもお手上げだったでしょうね。

「和議には反対」と言ったがために、和議の条件折衝、交渉事からも外されてしまいます。

今週はこの辺まででしょうか。ネタ本を立ち読みに行く暇がありませんでした。

ちょっと先走るかもしれませんが・・・

この交渉事を仲介、采配したのは織田常真、有楽斎の兄弟です。織田一門の家族会議のような交渉参加者です。浅井家、信長の妹の長女である茶々と、末娘のお江の姉妹喧嘩を、二女の初に仲裁させる・・・と云う構図です。有楽斎は100%徳川方ですし、兄の常真も「大名にしてやる」と鼻薬を嗅がされていますから、寄って、たかって茶々を騙すような話です。

更に、徳川方の使者である阿茶の局は、大蔵卿などとは比較にならないほどの才女です。家康、本多正信と3人で、十数年にわたり国政を牛耳ってきた大政治家です。現代の政治家でいえば…小池百合子かもしれません。箱入り娘の茶々や、田舎のオバサンが政治家の真似をしている大蔵卿とでは役者が違います。

大砲玉の怖さに休戦を急ぎ、爆弾の上に甘くて美しいクリームを塗りつけたような講和案に、茶々と大蔵卿は手もなく騙されてしまいました。家康にとっては「堀を埋める」という条件さえ飲ませたら、あとはどうでも良いことです。それを見抜けない大野治長も、政治家失格です。

阿茶の局が小池百合子なら、大野治長は鳩ポッポのレベルでしょうね(笑)

(次号に続く)