次郎坊伝 47 安土築城と武田

文聞亭笑一

前回の放送では、妻と息子を殺すという・・・家康の人生最大の悲劇を追っていました。

「直虎を主人公にするために歴史を歪曲しているのではないか?」と、やや批判的にお伝えしていた筆者にとっても、この部分に関しては今回の脚本家の見解に合意します。

「築山殿(瀬名)は悪女である」というのが通説で、今までの戦国物語では秀吉の妾・淀君と並んで悪女の典型のように描かれていましたからねぇ。名誉回復というか、人にレッテルを張って、評価を固定化することの愚を考えさせてくれます。

家康はその後、子作りのために晩年に至るまで、妾を次々と近づけますが妻を迎えていません。唯一の例外として秀吉の妹・旭姫を後妻に迎えていますが、これは夫婦というよりは人質交換の政治の道具です。「悪女・築山殿に懲りたからだ」と思われがちですが、政治の道具にされる存在である「正妻」を避けたとも言えます。一種のトラウマでしょうね。

明治になって一夫一婦制が導入されると、歴史上の英雄たちにも賢夫人がいたというストーリーを作らなくてはなりません。信長には濃姫、秀吉には寧々、山内一豊の妻・千代、前田利家にはお松などなど賢夫人が登場します。こういう物語は「そうでない悪役」がいてこそ賢さが引き立つわけで、愚妻、悪妻が必要になります。秀吉の淀君、家康の瀬名、それに伊達政宗の母などが「性悪女」の役割を引き受けさせられましたね。少々気の毒でもあります。

一人の人間というのは色々な側面を持ちます。十人十色と言いますが「一人十色」でもあって、時と相手と場合によって色々な顔を見せます。気心の合う仲間に合えば笑顔になりますし、嫌な相手に会えば仏頂面もします。あからさまに警戒色を出したりします。

安土築城の柱

今回は物語の進展に直接かかわってこないので、一言も触れられていませんが、信長は「天下布武」の象徴として琵琶湖東岸に巨大なシンボルタワー・安土城を建設します。

現在、「城と言えば天守閣がある、天守閣がないのは館(やかた)であって城ではない」と思われていますが、天守閣と云う形の構造物が作られたのは安土城が初めてです。建設後3年で焼失してしまいましたから、実物のことは詳細には分かりませんが、300年後のパリ万博の時に復元された姿は、現存している姫路城や松本城の比ではありませんね。高さといい、内装の豪華さといい、信長の経済力の凄さを見せつけてくれます。しかし…

この建設に使われた芯柱・・・構造物の中心をなす材料・・・は、木曽の檜です。

建設が開始されたのは天正4年(1576)です。完成したのは天正7年。

そして、天目山で勝頼が自刃し、武田家が滅びるのが天正10年。

つまり、天正5年ころには木曽から檜が切りだされ、筏に組まれて木曽川から関が原を曳いて山越えをし、琵琶湖の水運で運んだのであろうと思われます。しかし、木曽は織田信長の勢力圏ではありません。武田勝頼の傘下である木曽義昌が木曽福島城にいて、木曽谷の入り口・恵那の岩村城には信長の叔母を妻にした秋山信友がいます。どちらも武田軍の中核ですし、仮にそれらに勝る軍勢を派遣しても、飯田城には勝頼の叔父・武田逍遥軒が控えています。伊那には勝頼の弟・仁科五郎がいます。こういう情勢の中で、木曽から千年檜の巨木を引きだすという離れ業、盗伐ができたとは考えられません。

秋山、木曽、武田逍遥軒などは、既に信長の調略に乗っていた、安土からの依頼を受けた山師や、商人が檜の伐採をするのに目をつぶっていた・・・、と考えるのが順当でしょうね。仮に、勝頼の間者たちが状況を報告しても「伊勢神宮の修復」などと云って誤魔化していたのでしょう。

その意味で武田軍団は既に内部崩壊を起こしていた、と見た方が良さそうです。

そう考えると、「武田と内通した」として家康の妻子を殺す必要などなかったのではないかという疑問も湧きます。だとすれば「家康の忠誠心を試した」という答えしか残っていません。

家康が勝手に武田や北条と手を握り、信長に対抗する勢力に成長することを警戒したのかもしれません。ドラマでは「今川氏真を使って北条との盟約を取りつけた。それを手土産にして信康の助命を願う」という想定をしていましたが…、それがむしろ、「信長の警戒心を倍加させた」ということにもなりそうです。

更に、氏真が北条と交渉するためには武田支配地の駿河を通過しなくてはいけません。それができた・・・ということは、武田の駿河代官・穴山梅雪が氏真の通過を黙認したということでしょう。これにも何がしかの密約が必要ですし、そういう密約を信長の許可も受けずに実行してしまう家康は、ますます疑われることになります。

要するに…織田信長はヨーロッパ型の「絶対君主」を目指していて、部下や同盟国が許可なしに交渉事をするのを許さなかったということではないでしょうか。オルガンチノなどの宣教師を近づけて重用していましたから、ヨーロッパの政治体制を克明に研究していたと思われます。

これが・・・天皇制堅持の保守派で、且つ、信長側近の明智光秀には「売国奴」と映ったかもしれません。反対するわけにもいかず、家康に謀反を起こしてほしかった・・・とも考えられます。

まぁ、想像するのは勝手ですねぇ(笑)

今週の放映は高天神城の攻略のようですが、これは先週号で書きました。城は内から崩れるという通り、武田の内部はガタガタになりつつありましたね。「勝頼が救援に来なかった」と、落城の原因を説明しますが、甲府より近くにいる穴山信君(梅雪)が救援なり、徳川の包囲網の霍乱に動かないのも妙な話です。

東駿河で、北条の動きを注視していたからだ・・・とでも説明するのでしょうが、穴山梅雪の動きが鈍すぎます。勝頼と家督争いをしたといわれる人物ですから、それなりの政治、軍事能力はあったはずです。徳川、ないし織田との内通が疑われます。

所詮、政治、外交とはそういうもので、一筋縄ではいきません。情報公開だ、Openだ、と騒ぎますが、すべてOpenにしたら外交、契約交渉などは成り立ちません。自由の国アメリカといいますが、アメリカの民間企業でも、経営の中枢にあった者には退職後も守秘義務が課せられ、違反したら退職金や年金も停止されます。その点、日本はOpenです。クビ同然で追いだされた高級官僚が野党に情報を提供し、テレビに露出して反政府運動をする日本は実にOpenな国だと思いますね。

もっとも、それがないと記事のネタがないマスコミ屋、野党政治家の堕落でしょうね。彼らにとって「内部告発は良いことである」という雰囲気を作りたいのでしょうが、それでは国家として日本が諸外国に信用されません。交渉の相手にされません。

ちょっと…「たわごと&笑詩千万」風・・・になってしまいました。