いざ鎌倉 第43回 将軍後継

作 文聞亭笑一

先週で実朝が討たれるのか・・・と思いきや、もう一週分を使うようです。

ここからまた、朝廷との交渉が仕切り直しですからねぇ。

とりわけ三浦の動きが複雑です。

今回の三谷脚本の筋書きは「三浦が仕掛けた」「北条は関与せず」という吾妻鏡の説ですが、吾妻鏡は北条家をヨイショした書物です。

三浦の動きは察知していたわけですから、北条が無関係でいたとは思えませんね。

真実はハテ? サテ? ドラえもんの「どこでもドア」か「タイムマシーン」ができてから、見物にいくしかありませんね。

宮将軍は破談

実朝と・・・あろうことか・・・後鳥羽院の意を受けた間諜・源仲章まで殺害されて、仰天してしまったのは朝廷です。

筋書きが狂いました。

朝廷の筋書きは、まず、実朝を将軍から引退させて大御所とする。

あわせて、北条義時も隠居。

次に冷泉の宮を将軍に任じ、その後見役を大御所・実朝と執権・源仲章にさせる

宮将軍の治世が軌道に乗ったら、右大臣の実朝を京に呼んで鎌倉武士と切り離す。

要するに・・・鎌倉を乗っ取るつもりでした。

この計画が・・・そもそも甘いのですが、京から見ていたら鎌倉武士が「なぜ鎌倉政権を大事にするか」が見えていなかったからでしょう。

鎌倉幕府・武士の世とは、旧来からの公地公民を破壊し、土地の私有権を認めることなのです。

支配の大原則を変える・・・革命なのです。

朝廷の手駒、「飛車」とも言うべき実朝を失い、「角行」にと思っていた源仲章を失い、やる気が失せました。

宮将軍を派遣したら「人質」にされ、鎌倉の手駒にされる恐れもあります。

「将軍が暗殺される・・・そのような危険なところに親王を下向できない」

朝廷は即刻、宮将軍の話を破談にしてきました。

鎌倉政権は後継者不在のまま、将軍後継候補の見通しもないままに漂流することになります。

阿野時元の蜂起

実朝暗殺で将軍職が空位になっている間に、北条の身内からも将軍職を狙う動きが出ました。

阿野時元・・・父は頼朝の弟・阿野全成です。母は北条政子の妹・実朝の乳母・阿波局です。

この時元が領地の駿河に戻り、兵を集めて次期将軍に立候補します。

確かに・・・河内源氏の系統を継いでいます。

が、これを認めると・・・義経の御落胤を含めて「どこの馬の骨」かわからぬ者たちが続々と現れてくる可能性があります。

鎌倉革命政権を守る・・・この一点に殉じる義時は、身内といえども処分します。

鎌倉から追討軍が発せられると「時元について一山当てよう」という追従組は逃げだし、兵は四散してしまいます。

血縁だけで権力の座に着きたいという野望は、数日で頓挫してしまいました。

この事件以後に鉄壁の団結を誇った北条ブラザースから阿波局が消えます。

残るは政子、義時、時房  それに・・・三浦義村がしぶとくまつわりつきます。

千葉や足利などほかの御家人たちはどうしていたのでしょうか?

「我関せず」「お手並み拝見」「お家第一」・・・と日和見していたのでしょう。

「勝ち馬に乗る」が武士の基本姿勢です。

院の揺さぶり

実朝暗殺は朝廷・後鳥羽院にとっても誤算でした。

実朝を懐柔し、幕府の権限を徐々に奪い取り、鎌倉政権を立ち腐れにさせる計画が頓挫してしまいました。

朝廷にとって最も目障りなのは「地頭」です。

荘園からの収入の大半が地頭によって奪われてしまっています。

「泣く子と地頭には勝てぬ」という言葉も、この頃にできたのでしょうか。

地頭の任命権を朝廷に取り返せば・・・幕府は有名無実になります。

実朝を懐柔し、西国の所領から順次、じわじわと地頭職を返上させ、朝廷派の武士に交代させていこうと考えていました。

実朝が暗殺されたのは誤算でしたが、しかし後鳥羽上皇はへこたれません。

先手必勝・・・とばかり、既定路線での政略を仕掛けてきました。

「摂津・長江と倉橋の地頭の任免権を返上せよ」と言う交渉です。

この二カ所の地頭は・・・義時なのです。

一種の踏み絵ですね。

この二カ所は、淀川水運の京への物流の拠点でもあり、軍事的にも京を睨む戦略拠点でもあります。

荘園の持ち主は後白河寵愛の遊女と、上皇取り巻きの坊主の所領です。

「返上すれば宮将軍を下向させることも再考する。嫌なら話はなかったことにする」

鎌倉の執権が地頭職を返上すると言うことは、御家人たち全員の地頭職が雪崩を打って返上することに繋がりかねません。

Yesはあり得ない要求です。

Noの答えを持って、次期将軍の下向を求めるために弟・時房が京へ上ります。

精兵千騎を従えての上洛・・・と言いますから武力による示威ですね。

「なめたらあかんぜよ」といった行動でしょうか。

後白河も要求を取り下げざるを得ません。

時房と朝廷との交渉は難航します。

宮将軍は出さないが、摂関家の子息なら派遣しても良い・・・と言うところで妥結します。

選ばれたのは九条家の3男坊・三寅です。

寅年の寅の日の寅の刻に生まれたというのが命名の理由ですね。

当時は2才の赤子でした。

将に傀儡将軍その者です。

ただ、成人してからは三浦義村と組んでアンチ北条の動きを始めるようになります。

御所炎上

鎌倉に対して強気で交渉していた後鳥羽ですが、思わぬところで失策が出ます。

北条時房の軍が三寅を警護して都を去った後に事件が起きます。

御所警護の武士に源頼茂と言う御家人が居ます。

彼は清盛相手に戦い源平合戦に活躍した河内源氏・源頼政の孫です。

「頼朝の血統が絶えれば、河内源氏の正統は自分である」と将軍職を狙って旗揚げし、後鳥羽に「将軍の宣旨」を求めますが、そんなことをすれば鎌倉と大戦になります。

上皇は鎌倉に相談せずに、在郷の武士団に対して「頼茂追討」の院宣を出してしまいました。

頼茂の拠点は御所内「梨壺」にありました。

女官たちの建物が密集しています。

「討伐せよ」と叫ぶ上皇の命で、武士たちが一斉に御所内の頼茂の拠点に乱入し合戦になります。

多勢に無勢・・・かなわぬと諦めた頼茂は、立てこもった御殿に火を付けて自殺したのですが・・・この火が御所全体に燃え広がり、清涼殿を含む御所全体が焼失してしまいました。

戦と火事はつきもの・・・こういう常識すら知らぬ素人・上皇がやってしまった凡ミスです。

この御所の再建を巡って、また御家人たちの朝廷への不満が高まっていきます。