八重の桜 47 国家は人なり

文聞亭笑一

舞台は明治21年(1888)になります。八重が、鉄砲を担いで会津鶴ヶ城を駆け回ってから20年の歳月が流れます。薩長の藩閥政治もそれだけの成熟をしますが、諸外国との条約改稿は一向に進みません。とりわけ、治外法権という屈辱的な条約に関して、欧米はけんもほろろの対応です。全く…交渉の手がかりさえつかめませんでした。

鹿鳴館というのは、外務大臣・井上馨の発案で外国人接待所として建てられたのですが、その目的は日本の近代化を欧米に見せつけ、契約改正の土俵に立たせようと言うものでしたが、欧米人からは鼻先で笑われる程度の物でしかありませんでした。舞踏場はできましたがダンスを踊れる女性がいません。仕方ないからと赤坂、神楽坂あたりから芸者を呼んで相手をさせますが、踊れるはずがありません。「日本政府は外交官に売春婦をあてがった」と誤解される始末です。

さらに、政府高官が夫婦同伴で出席し晩さん会などをやりましたが、奥様方のナイフとフォークの使い方もぎこちなく、失笑を買うばかりでした。猿まね、田舎芝居…敢えて、日本が未開国であることを宣伝する結果にもなってしまいました。

欧米人が治外法権にこだわったのは、弁護士も再審もない日本の裁判制度の未熟さと、磔(はりつけ)獄門(ごくもん)、打ち首などの公開死罪です。自国民があのような残虐な刑に処せられてはならぬと、頑として治外法権に固執します。明治20年にもなると磔獄門などの死罪はありませんでしたが、成文化した法制ができていませんでしたから、信用されません。なにせ…憲法すらないのですから…。

条約改正が本格化するのは、翌年に憲法が制定され、議会が発足し、法制が整備されだしてからです。陸奥宗光、小村寿太郎などが活躍する土壌は、やはり憲法とそれに連なる法制の確立があってからです。それにプラスして…日清戦争などで日本の軍事力が認められてからですね。

残念ながら、パワーこそ国力の証でした。

185、襄に自分の体を労(いたわ)ろうという気持ちは全くなく、同志社を大学にするために奔走している。襄は「今は立ち止まっている時ではありません。来年は、いよいよ憲法が発布されます。立憲国家が道を誤らないためには、それを支える人物が必要だ。国会が始まるまでに、大学を作らねば…」

企業は人である…言い古された言葉ですが、最近の日本企業は、どうやら、この、当たり前を忘れかけているのではないかと危惧します。アメリカン・スタンダードの短期利益にこだわるあまり、ヒト・モノ・金のうちの金ばかりに目が向きます。外国企業との提携、外国人経営者の導入などがそれに拍車をかけているのでしょうが、「利益のためならなりふり構わず」の姿勢が強すぎるように感じます。日本らしさ、日本の良さを保持したうえでの国際企業であるべきだと思いますが、どうも…そこらあたりのスタンスが怪しくなっていますね。

ビジネスが国際化していますから、英語教育は大事です。が、英語で物を考えるためには相当に優秀な頭脳と、そのための教育が必要です。ですから、まずは物を考えるための言語「日本語」に磨きをかけ、それをもって英語で応対するということが基本のように思います。英語になびくあまり、国語をおろそかにしていたら鹿鳴館時代とおんなじです。

憲法ができても、それを使いこなせる人材がいなくてはただの飾り物です。憲法、法制というのはソフトウエア同様に、あるだけでは何も生みません。使いこなす人がいて…初めて役に立ちます。こんなことは当たり前の話ですが、忘れます。

同じ法体系の下で国政を運用しているのですが、鳩山由紀夫と安倍晋三では全く違った国家運営になります。人であり、その思想が国を導きます。

教育改革が叫ばれて久しいのですが、私などからすると教育関係者の怠慢に見えます。将来の社会に役立つ人間像を、彼らはどう考えているのでしょうか。工業化時代の、イケイケドンドンのままに人を育てているとしたら、企業の求める人物像とはミスマッチを起します。大学が、教授という肩書の方々が、もっと社会に出てニーズを探らなくてはいけませんね。とりわけ国立大学の先生方は、狭い研究室から飛び出してほしいものです。専門バカに育てられた専門バカは、企業に入ってからも指導手段、使い道が限られます。国立大学に合格した人なら地頭(じあたま)は良いはずですが、専門にこだわったり、プライドばっかりだったりで企業教育には厄介者になる人が多いのは残念です。

186、蘇峰は雑誌を開いて、襄と八重に「新日本の二先生 福沢諭吉君と新島襄君」という記事を取り出した。
「二君は教育の二大主義を代表する人なり。即ち、物質的知識の教育は福沢君によって代表され、精神的道徳の教育は新島君によって代表される」

徳富蘇峰は新聞記者を目指しますが、既存の新聞社には受け入れられず、雑誌「国民の友」を創刊します。これが、憲法を制定しようという時流に受けて、発行部数は飛躍的に伸びていき、明治の言論界を代表する存在になってきました。

創業期の慶應義塾を物質知識、実学の代表とし、同志社を精神的道徳の代表とするあたり、やや我田引水の感もありますが、それほど間違った評価でもなかったのでしょう。江戸期の道徳律を破壊し、それに代わるものと言えばキリスト教に裏打ちされた西洋の道徳律ですから、新島襄のやっている教育は新しい日本の道徳律です。

とりわけ、世襲や士農工商と言った身分制度の破壊には政府も躍起になっていましたね。政府の要人たちが江戸期でいえば足軽身分ですから、旧弊は払しょくしなくてはなりません。これに代わって出てきた身分制度が爵位であり、勲章であり、軍隊の身分序列ですね。人間というのはどうも階級分けが好きなようで部長、課長、係長などという職制もその一つです。

それとは少し毛色の違うものとして、学問の世界が身分にとって代ります。院卒、学卒、高卒、中卒という「学歴」という名の肩書きですね。学歴などは個々人の能力とはあまり相関しません。手抜き、言い訳と、遊ぶことばかり覚えてきた学歴は無用の長物です。

187、「大学設立の目的は、一国の精神となり、柱となる人物を、育成することにあります。先ず文学専門部を創設し、歴史、哲学、経済学などを教え、さらに、理学部、医学部と広げる計画です。しかしながら・・・校舎の建築や教員の招聘には、莫大な金がかかります。どうか、援助をお願いいたします」

襄は東京に出て、大隈重信の伝手を借りて同志社の資金集めのための演説会を開きます。当時の政財界のそうそうたるメンバが出席し、襄の趣旨に賛成します。結果は、数万円にのぼる寄付の申し出がありました。

襄が力説したのは「国家は人なり」という一点に尽きます。

「国家」というところを「企業」と替えても同じことですし、「地域社会」に替えても同じです。社会と言うものは人の集合体で、そこにいる人々の志向する方向が揃えば力を発揮しますし、銘々がバラバラであれば力は打ち消し合って組織の力になりません。自由というのは何物にも代えがたい人間の権利ですが、組織にあっては自由を制限されることもあります。それは、そうしなければ組織の力が発揮できないからで、スポーツの試合などを見ていれば歴然としてわかることです。リーダの采配よろしく、チーム一丸となって目標に向かっているところが強いですよね。勝ちますよね。主力選手が監督の采配にケチばかりつけているようなチームでは万年最下位でも仕方ないでしょう。「自由」に敢えて封印をして、目標に向けて頑張る…という姿勢も時には必要です。

7年後のオリンピックに向けての「おもてなし」も、日本国民の総意が必要になります。

TPP交渉にしても、国益の観点から産業界全般の合意形成が必要になります。農業団体が経団連などの会合に出ていないという日本の経済界が歪(いびつ)だと思いますね。その意味では農水省と経産省が分かれているのも、何か変です。農業、水産業は経済、産業とは別なのでしょうか?

188、先生が心ば砕いとっとは日本の将来たい。自ら立ち、自ら治める国民を育てなければならない。教育を政府の手だけに委ねてはならない。もうじき憲法が発布され、日本は変わるけん。これは新生日本への檄文たい。

新島襄が起草し、徳富蘇峰が手を加えた「同志社大学設立の趣旨」が全国の主要新聞20紙に掲載されます。「自ら治める国民」すなわち「自治の精神」というところが主題です。自治という言葉は、マンションなどの自治会などに残っていますが、本来の自治と言えるかどうかは疑問ですね。自治とは、まず、自分のことは自分で処理する、できるということですが、権利主張ばかりで義務放棄では自治になりません。そして、自分の事とそうでないこととの区別がつかないと、やたらと抱え込むか、すべて他人のことにする他律傾向が出ます。ここらが現代の日本社会の病根のような気がしています。

次に、組織の役員を自分たちで選び、組織内のことを処理する…ということです。地方自治体などというのがそれですが、その投票率の低いことと言ったら…、とても自治とは言えません。恥ずかしながら、先日行われた私の住む川崎市の市長選は、僅か30数%の投票率でした。

「どうでもいい」「誰でもいい」という無関心な人が7割近いのです。この投票率で自治体と言えるのか…はなはだ疑問です。こういう無関心層が増えると、役人天国になりますねぇ。3ズ(休まず、遅れず、働かず)主義が横行します。福島の市長選では、何もしなかった現職が新人に敗れましたが、災害などの課題がない時でも緊張感を持った行政にするためには、選挙民一人一人の自覚が大切になります。最低でも、選挙には、行きましょう。