乱に咲く花 46 明治の産業革命

文聞亭笑一

物語も終盤ですね。明治10年ごろ美和さんは35歳の女ざかり、楫取素彦は50歳近い年齢になっています。美和さんは大正10年に79歳の天寿を全うしますが、この当時としては非常に長生きした方でしょう。

人間というのは面白い生き物で、生きている間に色々な事件や事故に遭遇する人の方が、概して長生きします。平穏無事、安閑と過ごした人は意外に早くこの世を去ります。とりわけ老年になって暇を持て余しているのが拙いようで、昨今流行の認知症などに罹ります。

先日のNHKでは高齢者、とりわけ認知症予備軍の運転免許証について議論がなされていましたが、都会の論理、若い人の意見が中心で、肝心の年寄りが参加していないのが片手落ちに見えました。私の故郷などもそうですが、地方では車という移動手段は生きるための必須条件です。店舗が大型化して都会に集中し、公共交通手段も赤字経営から抜け出すために路線を廃止します。車がなくては生活必需品も手に入りません。

明治の変革も似たところがありました。限られた地域での自給自足の社会から、広域の経済圏へと変化していきます。これに勢いを付けたのが外国貿易と、税の金納制です。貿易に関しては生糸など一部の産品に限られましたから、その産地でない所は影響が少なかったのですが、税制変更は全国民、とりわけ農民の生活を一変させます。物々交換のような取引は成り立たず、お金に換算して、金銭による取引ができないといけません。

楫取素彦が県令として教育に力を入れたのは「読み、書き、算盤」の基礎教育が第一だったと思います。算盤のできる商人に騙されて貧困にあえぐ農民をいかに救済するか…これこそが当時最大の社会問題ではなかったかと思われます。

明治期に「明治三老農」と言われた篤農家がいる。
群馬の船津伝次平・・・西洋農法と日本古来の農法を折衷して近代農業、農法を広めた。
奈良の中村直三……米の増産こそ国家の礎と稲の品種改良に取り組み、全国に広げた。
香川の奈良専二……農業機械の改良に取り組む。現代でも使われているネコは彼の発案

                              (手押し一輪車)

今回の放送では船津伝次平が登場します。ドラマでどういう描き方をするかはわかりませんが、後に東京に出て彼のやり方を広める学校教育に邁進します。近代農業の父とも呼ばれます。

こういう逸材を発掘し、登用して中央政府に紹介していったというのが楫取の果たした一番の功績でしょう。そう言う点では松下村塾の伝統が群馬の地にも根付いたことになります。更に、群馬で使われた道徳教育の教科書が、全国の小学校教育のお手本として広がります。この編纂…というか、原稿書きを含めて楫取素彦、美和夫妻が作り上げました。明治社会に一定の倫理観を植え付けたという点では、非常に大きな功績ですね。

群馬では教科書だけではなく「郷土かるた」と言うものを全国に先駆けて普及させています。倫理観・道徳や地理・郷土史などを平易に説明しています。その意味では、後に教育県の名を受け継いだ長野県が「信濃の国」という県民歌を作って、全県民に地理、歴史を教えたのもこの流れだと思われます。

明治になって、日本の産業に大きな変化をもたらした引き金になったのは、明治五年に開通した新橋・横浜間の鉄道である。鉄道そのものが儲かる事業であったことと、事業が生み出す裾野の広さが産業発展の基礎を作り上げていった。

最初の鉄道は人的交流のための道具でした。客車が中心です。しかし、鉄道の持つ最大の強みは物資の輸送です。群馬でも「鉄道を」という声が強かったように、全国いたるところで鉄道需要が高まります。蒸気機関の威力を国民全員に知らしめたと言う点では「動く広告塔」でしたね。

鉄道建設には、まずレールが必要になります。これを国産化しなくてはなりません。また、鉄を作るにも蒸気機関を動かすためにも石炭が要ります。幸いなことに、北九州には良質な炭鉱が江戸期から開発されていました。

江戸期は石炭と言う言葉はなく「五平太」と呼ばれていました。燃える石・・・として一部で利用されていましたが、ペリーの黒船が来るに及んで一気に需要が高まりました。各藩が西洋から買い付けた蒸気船を動かすための必需品です。五平太さんの店で扱う量ではとても需要に追い付かず、筑豊や長崎方面での炭鉱開発が盛んになります。

NHKの朝ドラ「朝が来た」で主人公が炭鉱開発に邁進していきますが、丁度、石炭需要が高まり始めた時期ですね。群馬の富岡製糸場も、動力源は蒸気機関ですから石炭が必要でした。

余談になりますが、朝ドラの方は主人公が実に明るく、ネアカ、ノビノビ、ヘコタレズの典型みたいですから視聴率も高く、見ていて楽しいですね。一方の大河ドラマは見ていると・・・何となく心が暗くなります。視聴率もはかばかしくないようで、ストーリを追う私も疲れます(笑)

群馬生糸が品質低下した原因

番組では仲買人が不正をした様に描いていましたが、そうではありません。生糸は水に漬けた繭から糸を引きだします。生糸生産の最盛期は繭が取れる夏場ですが、この時期は高温多湿です。濡れたままの生糸を巻き取り、そのまま束ねると乾燥不十分で中心部の糸が、糸同士で癒着してしまうという現象を起します。また、変色の原因にもなります。

これを防ぐには、楫取の言う「巻き返し」という工程が必要で、いったん巻き取った糸をもう一度巻き返します。空気に触れさせる機会を増やして乾燥させる工程です。富岡製糸場はその行程を踏んでいますが、行程が増えるということは原価高に繋がりますから小規模製糸業者(ドラマでは仲買人と言っています)はこの工程を省いたのでしょう。勿論、この工程がなくとも晴天の昼間に紡いだ糸は乾燥して高品質の物もあります。しかし、雨の日や夜間に紡いだものは乾燥不十分で問題を起しますね。乾燥すれば軽くなって売価も下がりますから、やりたくありません。

楫取が提案する「組合」というのは、この乾燥工程を共同でやろう・・・ということで、機械化してコストを抑えようという提案です。一工程増える分を量産効果で吸収しようということですが、これをやると生産者(仲買人)の商売のうまみはなくなります。さらに生糸は重さの単位で売買しますから、乾燥すれば軽くなって売価も下がります。やりたくありませんねぇ。

生産量や仕入れ値、売価などがOpenになってしまうのも・・・商売として面白くありません。

品質管理と生産性・・・現代でも悩ましい所ですが、見えないからといって手抜きをすれば、地下に打ち込まれた基礎工事の杭同様に重大な損害賠償として跳ね返ってきます。