この国のかたち(第42号)

文聞亭笑一

この項のタイトルには司馬遼太郎の名作「この国のかたち」をそのまんま引用させていただきました。竜馬が起草した船中八策は、マニフェストなどと言う薄っぺらなものではありません。「方針とはかくあるべきもの」という一つの手本のようなものです。

単純明快、且つ、要点を網羅する…という基本を見事に実現しています。

我々も時に応じ、立場に応じ、方針を作り、発表し、部下に浸透させようとしますが…

「あれも言いたい」「これも言いたい」と欲が出て冗長になり、多くを語れば方針の項目同士が矛盾してきて、訳の分からない「たわごと」を羅列することになってしまいます。

それが嫌だからと、単純化しすぎてスローガンにすれば、解釈がばらけて部下は勝手気ままに動き出します。方針を作り、徹底するほど難しいことはありません。しかし、それが上手くいけば、方針は半ば達成できたともいえます。

新しい総理大臣が所信表明演説をしましたが、識者の評価はかなり辛辣ですね。やはり・・・あれもこれもとご馳走を並べすぎたマニフェストなる物が悪戯(わるさ)をしているのでしょう。

「有言実行内閣」ぜひそうあってほしいと願いつつも、「勇言」「雄言」は程ほどにして頂き、省庁一つにつき方針一つくらいが適当ではないでしょうか。

「遊言」「幽言」「憂言」になってしまっては、<国民の皆様のお暮らし>は沈み込んでいくばかりです。前の総理は「優言不実行」でしたが、国民の皆様は経済、外交でキレのある政策実行を望んでいます。

ところで、最近の政治家や与党も、野党も「国民の皆様」が流行語ですが、衆愚におもねる響きがして耳障りですねぇ。「お暮らし」と言われるほどの優雅な生活でもありませんしね。・・・前置きが長くなりすぎました(笑)

174、要するに、人物試験をしようというのである。人物試験をした上で、過激派の三条と天才的策士である岩倉の秘密同盟を、中岡が三条の代理として結ぼうと言うのだ。
中岡慎太郎は、人物眼がある。この男の人物評は志士の間でも高名で、中岡の眼鏡に適ったものと言えば、もうそれだけで一流の士と見ていいといわれているほどだった。

長崎で竜馬と今後の方向付けを綿密に打ち合わせしてからというもの、中岡慎太郎の動きが活発になります。竜馬に比べて中岡慎太郎の方が政治的才能は遥かに優れていましたから、企画、実行力ではその才能を遺憾なく発揮しました。

竜馬の才能は、刃物にたとえれば鉈(ナタ)か鉞(マサカリ)です。大きな木をばっさりと切り落とすような力強さがありました。

一方の中岡慎太郎は剃刀(カミソリ)か刺身包丁のような鋭さがあります。この二つの武器を使って、この国の混乱した政治を立て直そうとしていたのです。実に、うらやましくなるような名コンビだったと思います。

歴史物語では竜馬が主役で、慎太郎は脇役に回りますが、維新の後半にあっては、実は、中岡慎太郎の方が主役だったように思います。竜馬以上に倒幕勢力の間を駆け回り、調整の成果を挙げています。長崎での龍馬との打ち合わせで二人が合意した「大政奉還後の新政府の首班」は、大宰府に幽閉されている三条実実でした。

薩摩藩の西郷などが考えている新政府構想は「島津幕府」のようなものです。

長州藩の桂が考えているものも、同様に「毛利幕府」のようなものです。

土佐藩の大殿、山内容堂にいたっては、幕府官僚組織の上に「容堂大老」が君臨します。

三者三様、政権交代が実現しても、今度は内部の派閥争いが激化して、空中分解を起こすことが目に見えていました。

武力を持たない公家…三条を首班にして薩長土の有志を揃えた内閣、二人の間ではそこまで構想が進んでいたようです。後に、二人は同時に暗殺されてしまいますが、私の推測では慎太郎が竜馬に「入閣せよ」と熱心に説得をしていたのではないかと想像しています。

竜馬には、その気が全くなく、夢は貿易で世界を駆け回ることだけでした。

ともかく、中岡慎太郎は首班候補の三条実実から親書を預かり、京都での下工作を岩倉具視に委嘱します。岩倉、中岡、それに薩摩の大久保が陰謀トロイカ体制を組んで、幕府の武力討伐の方向に動きが加速していきます。

175、革命と言うのは、人間が思いつく限りの最大の陰謀といっていい。
いまやすでに自体はその陰謀の段階に入っている。陰謀は京で行われつつある。
その中核的な働きをしているのは、ほんの数人の人間に過ぎない。
公卿 岩倉具視
薩摩 西郷吉之助、大久保一蔵
土佐 中岡慎太郎、板垣退助

岩倉具視、明治の元勲の一人でしたが、この人の変わり身の早さも政治家と呼ぶにふさわしい経歴です。攘夷から公武合体へ、さらに倒幕へと時勢の変化に応じて器用に泳ぎ回ってきたのですが、先帝の怒りに触れて蟄居謹慎の身でした。が、彼を担ぎ出したのは大久保一蔵です。岩倉具視の策略を聞いて実行するごとに、調停工作は成功を収めます。公家の発想回路を知り抜いていて、その裏をかくのですから将軍慶喜の打つ手を、すべてひっくり返すことが出来ます。これまでのところの最大の功績は明治幼帝の秘書官に岩倉の息の掛かった薩摩派の中山大納言を就けたことです。

これで、勅書はなんとでも作文できます。錦の御旗も思いのままに下賜出来ます。

「玉を握る」と言いますが、天皇を倒幕勢力に取り込んでしまったことが、その後の政局にとって決定的な要素になって行きます。

陰に隠れて謀議をするから「陰謀」ですが、陰謀には秘密保持が不可欠です。

ほんの数人の人間に過ぎない 当然ですね。

176、「言うぜ」竜馬は長岡に合図し、やがて船窓を見た。
船中八策の口述を始めるのだ。(以下内容は、現代文要約)
1、政権を朝廷に返上する・・・大政奉還
2、上下院を設け、すべての事案を議会で決める・・・国会の設置
3、能力あるものを選び、無能な官吏を排除する・・・公務員改革、世襲廃止
4、外国と対等に付き合う。不平等条約を改める・・・外交方針
5、古来の法体系を見直し、不窮の大典を作る・・・憲法制定、法体系見直し
6、海軍を拡充する・・・国防方針
7、天皇直属軍をおく・・・軍制改革、藩の軍事力召し上げ
8、通貨を統一し、海外との為替レートを世界標準に・・・金融政策

勝海舟の薫陶を受け、横井小楠、大久保一扇などの指導を受け、自らの行動によって実証してきた竜馬の「この国のかたち」に関する卒業論文こそが、この船中八策です。

1、大政奉還とは司法、行政、軍事の権限のことでしょう。家康以来続いてきた徳川家の世襲権限を手放せと言うことです。特に、軍事指揮権の放棄が重要です。

2、国会の設置は、ある意味での議会制民主主義の芽生えで、当時としては雲をつかむような話でした。それもあって、明治新政府になっても帝国議会の開設はかなり遅れましたね。岩崎弥太郎に言わせれば「厠に無能者の小便が溜まるだけ」という感覚です。

3、こそが…竜馬の最も言いたかったことだと思います。士農工商の身分制度をはじめ、世襲で既得権益を守ることの弊害を強烈に指摘しています。勝から聞いた「下駄屋の息子でも大統領になれる」国に、強く憧れていました。人権条項ともいえます。

4、宗教的攘夷、神国日本の幻想への決別宣言の意味合いもあります。

5、法体系の全面見直しです。260年間の徳川一党支配は、いたるところに矛盾を含んでいました。網の目のように張り巡らされた法律で、庶民は身動きが取れません。

それをたてに、幕府も藩政も官僚天国になっていました。「この国を洗濯致したく候」とはこのことだったと思います。

6、自分の国は自分で守る。そのためには海軍の充実が急務だと言っています。

7、対外戦争のために、国軍を設置すると言うもので、兵制改革です。軍事と警察を分離し、藩の持つ軍事力は警察に衣替えし、軍隊は国軍として独立させます。

8、為替レートのほかにも、藩札があり、薩摩が作った贋金が横行しています。通貨統一と統一的な金融政策を確立し、国家財政を健全化せよといっています。

紙面の都合で端折ましたが、「学べば学ぶほどわかった」前総理をはじめ、国政を預かる政権与党の国会議員は、ぜひともこの八ヵ条を学んで欲しいと熱望します。政権交代とは、政権の座に就くだけのことではありません。この国のかたちを見直し、改革を進めることです。特に重要なのは「憲法論議」でしょうね。この国のかたちに大きくかかわります。

これなくして…小手先の改革では「形」に変化はないと思いますよ。