水の如く 50 戦は道楽でござる

文聞亭笑一

策士、軍師と言われた黒田官兵衛、如水の物語も今回で完結です。長らくのお付き合いをありがとうございました。

私が社会人として世の中の波をかぶり始めたのは昭和41年でした。日本経済は高度成長期に差し掛かり、どの業界においてもシェア争いが始まっていました。そうです、戦国時代の「国盗り物語」にも似て、企業の浮沈を賭けた競争の時代でした。それぞれの業界で「天下」つまり業界の盟主となるべく、各企業が商品開発、生産技術、営業戦略にしのぎを削り、毎日が戦いの連続でした。

この時代に「企業参謀」などという言葉が流行り、軍師的な組織ができました。「経営企画」とか「経営戦略」などという名前の部署が作られ、米国式の戦略論がもてはやされた時代がありました。たまたま・・・文聞亭は、そういう部署に身を置く時期があって、マーケティングなる技術を身に付ける機会がありましたが、これらの理論の根底に流れるのは、欧米文化です。

「なんか違う」…理屈をこねている間は「欧米理論」で良いのですが、いざ、現場に落とし込む段になって抵抗が大きいのです。日本の伝統文化との融和がしにくいのです。

「日本にも似た時代はなかったか」…ありましたねぇ。戦国時代です。もともと歴史好きで、とりわけ戦国の英雄物語には関心がありましたから、司馬遼太郎、山岡荘八の歴史小説にのめり込みました。信玄、謙信、信長、秀吉、家康…この5人を軸に、その周辺の戦国大名を主役にした小説を読み漁りました。

やはり、軍師、参謀というべき存在がいます。信玄には山本勘助、真田昌幸、高坂弾正などがいますし、秀吉には半兵衛、官兵衛がついています。そして、家康には本多正信、正純親子がいます。謙信、信長の二人は天才型というのか、独善型というのか、ワンマン経営ですが…天下という規模を束ねるにはワンマンでは無理があったようです。三人寄れば文殊の知恵と言われますが、志を同じにし異次元の発想をする参謀役がいてこそ、長期安定政権が構築できるような気がします。

かつて草柳太蔵さんが桃太郎の教訓という話で、忠実な「犬」、すばしっこく器用な「猿」、空中から敵状を探索する「雉」の3匹の家来が必要だと述べていましたが、企業に置き換えれば製造や営業現場、技術開発部門、企画部門となるのでしょうか。犬、猿、雉が揃って優秀であれば、企業は盤石でしょう。鬼退治に必要な三種の人材を発掘し、登用することこそ、企業が勝ち残っていく基盤になると思います。

197、その年12月、如水は大阪城西ノ丸に入った家康から呼び出され、上方に上った。
「このたびの黒田の働きは、見事であった。長政には筑前一国52万5千石を与えた。
そなたも九州で働いてくれたよし、上方に領地を与えたいがいかがか。
領地が要らぬと申すなら、然るべき官位を授けよう」

家康は顔で笑っていますが、目は笑っていません。九州での如水の働きの真意を疑って、警戒しています。検察の訊問に近い雰囲気が漂います。それというのも伊達や前田に送った密書が徳川方に漏れていたようなのです。伊達、前田双方とも、自らの保身のために、徳川に提出してしまったようでもあります。

「自分には一切欲がない」と言い切ることしか、この場面を乗り切る方法はありません。

「隠居の身」を前面に押し出して固辞しますが、疑いは晴れません。

「九州での戦の狙いは何か」「隠居の道楽でござる」

こんな会話の繰り返しで家康の直接尋問をかわしますが、その後、本多正純による証拠調べはあらゆる関係者に及んだようですね。徳川にしてみれば如水という火種を、この際に葬り去り、あわよくば黒田に与えた52万石、加藤清正、鍋島直茂に与えた領地ともども削りたかったのだろうと思います。この後、大坂の陣にまで続く陰湿な大名家の取り潰し作戦の第一号にされるところでした。

如水の胆力で黒田家は危機を乗り切り、その後も3代目の不始末は栗山大膳(善助)の身を挺した智慧で躱し、明治まで52万石を守り切りました。

198、如水は息子長政の移封と共に筑前に居を移した。福岡城を縄張りしている。
福岡の名は、黒田家とゆかりの深い備前・福岡の地名から採った。
城の本丸に天守閣を築かなかったのは、幕府の疑いを受けるのを憚(はばか)ったためである。

古代からの商都・博多を、敢えて封印し「福岡」という地名を付けたところに、如水の意地を見ます。この地に、黒田家の礎を築く、中央の政権は変わっていっても先祖から伝えられてきた黒田の伝統は守り、発展させていくという決意を示していますね。

福岡城の規模は九州第一の広大なものでした。清正の熊本城をはるかにしのぎます。が、天守閣を築かなかったところに、幕府の警戒、疑いの深さが読めます。何をするかわからぬ男、幕府を転覆させるような策謀をする男、味方にすれば千人力ではあるが、敵に回せば幕府を転覆させかねぬ男…そういう存在でしたね。官兵衛が黒幕となり、大阪の秀頼を担いで幕府に対して旧豊臣の勢力を糾合したら…これが家康にとって最大のリスクでした。清正の熊本が50万石、正則の広島が50万石、それに毛利一族、浅野長政などが加われば2百から3百万石の勢力になります。もう一度関が原規模の戦になりえます。しかも、三成などのアマチュアと違って戦の駆け引き、外交駆け引きに関してプロです。爆弾、原爆クラスの危険物です。家康が枕を高くして眠るわけにはいきません。

199、かつて如水は竹中半兵衛に「悪くなれ」と言われたことがある。
真の悪人は悪人には見えない。内なる刃物を隠しているために、時に快活に、時には篤実に、いや慈悲深くさえ見える。自らの頭の冴えを表に出さず、逆に隙を作って見せることで、周りを安心させ、それが人々を引きつける求心力になっていくのである。

善人、悪人の定義にもよりますが、物事を深く考える者は悪人ですねぇ。相手より一手、二手先を考える人間は悪人タイプです。囲碁、将棋などは5手、10手先を読みますが、そう言う人は大悪人です(笑)まぁ、これは半兵衛、官兵衛の定義ですから気にしないでください。そういえば、如水は大の囲碁好きでした。

政治家、経営者など、人を率いていくタイプの人は悪人でないと務まりません。根っからの善人では人に騙されますし、見るからに悪人では客が寄り付きません。刃物を懐に隠し、笑顔を絶やさずにいるのが大政治家、大経営者でしょう。さすがに…そうはなれませんでしたねぇ。短気なので結論を急ぎます。

200、軍師は政治家ではない。むしろ、芸術家に近い。
政治家と言うものは頭が切れすぎてはいけない。どこか愚鈍に見えるようなところがなくてはならない。だが、芸術家は峻烈なまでに自らの美意識を追い求め、自己表現に生甲斐を見いだすものである。

これは後半のネタ本にした火坂雅志の「軍師の門」のエピローグです。

政治家とは集団を束ねる人、芸術家は個人技を極める人…こういう定義で見れば火坂さんの言う通りでしょう。

現代は芸術家タイプには生き難い世の中になってきました。工業化社会が生んだ分業制、情報化社会になってからの情報共有が進んで、個人技の活躍する場面が減ってきています。芸術家を目指す者には稼ぐ手段がありません。名が売れたら…驚くほどの対価が得られますが、無名の芸術家ほど悲惨なものはありません。

働けど 働けど今日も我が暮らし 楽にならずやじっと手を見る

啄木の嘆きの通りです。

政治家は切れすぎてはいけない。若者もキレてはいけない。その通りです。我慢、忍耐、演技も時には必要です。とはいえ、大臣時代の原発事故で「忍耐」と掌(てのひら)に書いて、カメラの前で泣きじゃくった野党の党首ではアキマヘン。笑顔のない政治家は大成しません。

最後に黒田如水の辞世の句

思いおく 言の葉なくて ついにいく 道は迷わじ なるに任せて

下の句が如水らしいですね。やることはやった、という満足感が漂います。

一年間、官兵衛を追いかけてきましたが、今回で終わります。

50回のうち、「上出来だ」と自信を持って送り出したのは4,5回。

やっつけ仕事で、紙面を埋めただけのも同様に4,5回。

読者の皆様には大変ご迷惑をおかけしました。

しかし、お陰様で「配信拒否」のご連絡がなかった分だけホッとしております。

長らくのお付き合い、ありがとうございました。