雪花の如く
第39編 愛と義と
文聞亭笑一作
兼続の、兜の前立てには「愛」の文字が燦然と輝きます。
その兜の前立てのモチーフを、与板出身の友人からいただきました。(右図)
与板は、兼続フィーバで、観光客が絶えない様子ですが、兼続が掲げた「愛」の文字について考えてみました。
愛染明王の愛であるとする俗説が信じられてきましたが、どうやらそうではなく、儒教の「慈愛の愛」ではないかというのが、「天知人」の作者・火坂雅志の意見です。
仏教では愛を最大の煩悩として嫌います。坊さんが妻帯せず、独り身を通すのは、男女間の愛や、結果としての子供への愛から逃れるためとも言われています。
僧侶を世捨て人というのは、あらゆる愛欲から逃れるために、あらゆる欲を捨てると言うことで、それが又、信者の尊敬の一つの要因でした。
いまどき、「妻帯ぜず」を守る坊さんは貴重品ですが、仏教が世俗化して、葬式仏教に堕してしまった原因の一つでもあります。仏教が宗教と言えるかどうかすら疑わしい…??
堕してしまった…は、言い過ぎかもしれませんね。「檀家の信頼を失いつつある…」と言い換えましょう(笑)
仏教は宗教ではなく、商売になりだしましたね。
定年もなく、税金の掛からない、結構な商売です。
とはいえ、死んだらお世話になる相手ですから、悪口ばかりも言っていられません。
ですが、通夜の夜くらいは、事務的に、お経を唱えるだけではなく、説教の一つも語ってほしいものです。都会の葬式はベルトコンベアに乗せられて、骨壷を生産する工場に入ったようで、気分の良いものではありませんねぇ。
兼続の愛は作者の言うとおり、慈愛の愛、For the peopleの愛だと思います。
福祉、福祉と大合唱の現代には、人気のある文字の一つでしょう。友愛総理の登場とあわせて、清水寺の今年の漢字が「愛」になるかもしれませんよ(笑)
104、将軍拝任の直後、家康は秀頼を内大臣に推挙。又、孫娘の千姫を秀頼の元に嫁がせ、徳川、豊臣の関係が良好であることを演出した。すべては良好な天下運営のため、いまだ豊臣家に心を寄せる西国大名に配慮した。家康ならではの用意周到な策である。
家康の天下簒奪(さんだつ)は着々と進行しています。関が原の論功行賞で大名の再配置を決定し、反乱を未然に防ぐ体制を着々と進めていますが、それでも、最大の気がかりは上方での太閤人気と、秀吉子飼いの大名たちの動向です。
中でも安芸に配置した福島正則と、肥後の加藤清正は気が抜けません。彼らが、反徳川の旗を立てれば、どれだけの人数が集まるかと不安でならないのです。そのためには、秀頼との関係をハネムーン状態にしておかなければならないのです。
征夷大将軍として武家の棟梁は家康、内大臣から、いずれは関白として、朝廷の責任者は秀頼という二元政治の虚構をでっちあげ、豊臣恩顧の大名や上方の商人たちを騙しておかなければなりません。
武家諸法度、公家諸法度と言う法体系と、その法によって大名たちを締め上げ、戦力も、財力も骨抜きにするまでは、豊臣家とはうまくやっていかなければならないのです。
秀頼の成長が早いか、それとも、家康の体制整備が早いか、時間との勝負です。
105、名門武田家に生まれ、信玄の娘として誇りが高く、人一倍悋気(りんき)の強いお菊御寮人をはばかり、米沢の側室の存在は、それまで一切内密にしてあった。
「すべては直江山城守のはかりごとか。かような屈辱に私は耐えられぬ!」
激しく嫉妬し、心身ともに変調をきたしたお菊御寮人は、やがて病に伏せるようになり、失意のうちに世を去った。
上杉家でも、最大の懸念は景勝の後継者問題です。景勝と菊姫の仲は非常によいのですが、残念なことに子供が出来ません。兼続にもそのことが一番の気がかりで、嫌がる景勝を強引に説得して、側室を持たせます。器量や家柄をさておいても、子供を生める姫を探さねばなりません。運よく、京の四辻家の姫を側室に迎え、めでたく懐妊しました。
景勝の嫡子・玉丸が誕生したのです。
さあ、そこからが修羅場ですねぇ。引用したような家庭内の問題が巻き起こりました。
後継者問題・相続問題と言うものは…今も昔も変わりません。
ましてや血縁を大切にする戦国から江戸の社会では、長子相続が暗黙のルールになっています。玉丸(上杉2代藩主・定勝)の誕生は上杉にとっての慶事なのですが、菊姫にとっては地獄になってしまいました。こればかりは、流石のお船も慰めることも出来ません。
「兼続の差し金」と悲しみ嘆く菊姫を、慰めることも、力づけることも出来ません。
お船すら、兼続の片割れとして遠ざけられてしまったのです。
菊姫は、自殺するかのように、食が喉を通らなくなり、亡くなってしまいました。
106、生母を失った世子玉丸は、兼続の妻お船が母代わりとなり、養育することになる。
いや、母代わりではない。お舟は玉丸の母同然になり、世子の教育に当った。
一方、玉丸の生母も、産後の肥立ちが悪く、景勝が米沢に誕生祝に駆けつける前に亡くなってしまいます。
お産の危険性は現代の比ではなかったのです。現代では、「救急車が間に合わずに…」と
大事件になりますが、当時の産科の技術では、こういうことが良くありました。上流階級ほど、産後の肥立ちが悪くて死ぬケースが多かったようですから、多分、妊娠中の運動不足が原因でしょうね。「お世継ぎ様が生まれる」と、周りが大事にしすぎて、母体の筋肉が弱まり、おなかの子供も育ちすぎてしまうのでしょう。
お船は、玉丸の代理母として養育に当ります。菊姫に代わって、今度は若様のお守りです。
夫婦揃って上杉のお家第一に、滅私奉公ですね。大変です。
後のことですが、定勝は、兼続亡き後、お船に三千石の大俸を与え、執政として経営を任せています。肝っ玉母さんと言うのか、お船と言う女性の強さ、利発さがそのことだけでも分かります。米沢上杉家の創業の母です。
107、兼続は本多政重を丁重に遇した。相手は大谷、宇喜多、福島、前田と諸大名を渡り歩いてきた筋金入りの隠密武将である。うまく行けば、幕府と良好な関係を築く橋渡しになるが、一歩間違えば上杉の命取りにもなりかねない<劇薬>のようなものであった。
・・・・・・・略・・・・・・・
兼続の望みどおり、本多佐渡守正信は上杉家に並々ならぬ好意を寄せた。
テレビでは兼続の幼少時代を演じた子役が、好評だったからと再登場して兼続の長男役を演じています。ちょっと生意気っぽくて、可愛いですね。
その長男に家督を継がせず、長女の松に本多政重を婿に迎えて、家督を継がせます。
この、非情な決心に、弟の実頼は猛反対して出奔し、高野山に隠れてしまいます。実は、高野山にはもう一人、お船の実の長男も出家、隠棲していました。お船が、兼続と再婚する前に、前夫との間に出来た子供がいたのです。
身内を犠牲にしてまでも、お家第一に尽くす…現代では考えられない悲劇ですね。
本多政重…柳生十兵衛同様の公儀隠密です。上杉の情報は幕府に筒抜けです。それを敢えて娘婿にするところが、兼続の捨て身の反撃ですね。一種の開き直りです。陰謀、策謀が得意の相手には、この種の開き直りが最も効果的なのですが…度胸がいりますよね。なかなかできるものではありません。「死ぬ気になって…」などと他人に説教は出来ても、自分がその立場になれば、死ぬなどということは出来ません。
この時期、徳川幕府からイジメを食った大名は上杉だけではありません。佐竹などはもっとひどい仕打ちを受けています。「出羽の秋田に行け」という辞令だけもらって、俸給が確定しなかったのです。つまり、何万石の体制を作ればよいのか? わからなかったのです。
佐賀の鍋島も、本領安堵といわれたものの「いつの時点の本領か?」が分かりません。
ともかく、関が原で西軍に属した大名は、いつ、どんな難癖を付けられるか、戦々恐々でした。狸親父…家康らしい嫌らしさでしたね。
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